中学生のときの近所の友達Yはアメリカの銀行員をしている。
本名でのネット検索で僕を見つけて、臨死体験についてメールで質問してきた。
自分も死にかけて以来、大変関心があるという。
まとめて書いているからと「魂の螺旋ダンス」を紹介すると
noteで買ってくれた。
僕の方は
アメリカでの銀行口座の開設の相談などして
メールを交わすようになった。
が、あるとき、僕がALISにこんな原稿を書いたからよかったら
読んでくれたまへ。と書くと、
偉そうだと急に怒り出した。
僕はたまふは敬語であり、その命令形は目上の人に使うものだと説明したが、
藪蛇だったようだ。
実際、日本語では敬語は、必ず凋落の道を辿る。
御前も貴様も君も貴方も本来敬意をこめた二人称だが
現在では失礼にあたることが多い。
たまへも、社長が平社員に命令するような言葉になっているのは、
知識としては知っているが、
実際には会社勤めをしたことがなく、
言われたことも言ったこともない。
それに対して古典文学の方がまだしも読んでいるので、
敬語の命令形のたまへの方が、僕はなじんでいたのだ。
これは神に頼むときにすら使う言葉だ。
しかし、その語感はよほど生意気に感じたらしく、
あれ以来、メールは途絶えた。
正しい?日本語より、現代日本語が大事であるのは現実か。
しかし、僕は、たまへをマジ現代の意味で使わないし、言われたこともない。(・_・;)