僕と月子さんはタイの島に行って、もうしばらく一緒に時間をすごすことにした。
一緒にいて心地いいし、特にどこにも行く予定のない月子さんはそのままの流れで僕についてきた。
元々の僕の予定はタイの南のコパンガンという島に行くつもり。
既に何人かの友人はこの島に住んでいて、遊びに来るように誘われている。
僕が2年前にタイ北部のチェンマイの街で一緒にバンドをやっていた友達が、現在この島でレストランの管理人をしており、ボランティアを受け入れているので、一緒に住まないかと誘ってくれている。
すでに、偶然/必然にも南米大陸からセーリングボートで太平洋を跨いでやってきた、僕の船乗りの友人達を数日前からレストランのボランティアとして住まわせていた。
そういうこともあって、彼の所にしばらく滞在すれば結構楽しいんじゃないかなと思っている。
ぼくと月子さんは、フェリー、電車、タクシーを乗り継ぎ、マレーシアからタイのコパンガンに向かった。
それは行きと同じく旅慣れた僕たちにとってはすごく簡単な旅路。
旅慣れた人と一緒に移動するのは楽でいい。
お互いに自分で自分の面倒を見れる事を分かっているので、相手の事は気遣わずに自分の事だけケアすればいい。
それでいてお互いにゆとりがあるので相手を気遣ってお互いが楽になる。
僕たちはコパンガン島の北部にあるスリタヌ村の中心を目指す。
友人が管理人をして居るレストランに、これから数日から数週間滞在する予定だ。
レストランにたどり着くと、友人たちが歓迎してくれる。
面白いことに類は友を呼ぶというか、スタンド使いはスタンド使いと引き合うというか、世界各地で別々に出会った友達がこのタイミングでこのレストランに集まっている。
レストランの管理人をしているのは元バンドメンバー。
その彼のガールフレンドは僕がメキシコを自転車で旅していた時に出会い、メキシコで一緒にアヤワスカセレモニーに参加した友人。
そこに居候しているセーリングボートのメンバーは、コスタリカのヒッピーコミュニティーで一緒に暮らしていた友人が数人。
さらには、グアテマラでサーカスをしながら自転車で一緒に旅した友人までがここに居た。
こういう友達の友達が共通の友人で、それぞれが偶然/必然にも一堂に会すという漫画のような出来過ぎた話が旅人の世界ではしょっちゅうある。
自由であればあるほど、自然と気の合う仲間とつるむことになるし、自由で心の開いた人同士だとすぐに仲良くなれる。
そして、世界中を旅していると知り合う人数も多く、それぞれが似たような土地を旅することが多いので自然と似た者同士が寄り添うようになっていく。
そんな感じでゆるくまとまった旅人たちの社会というものが人知れず存在していて、ここコパンガンのスリタヌ村はそういう旅人社会の住人たちが集まってくる場所の一つだ。
僕が前回コパンガンに来たのは20年前で、バイト先の友達との3週間のバックパッカー旅行だった。
その時は何もわからず、島に向かうフェリーで知り合った先輩旅行者のIさんがいつもコパンガンに来るたびに利用して居るバンガローについて行っただけなんだけど、初めて旅人の世界の住人に触れ合い、かなり刺激を受けたことを覚えている。
そして、面白いことに現在僕の友人がいるレストランは20年前に僕が泊まっていたバンガローの道路を挟んで真ん前!
何千軒とあるコパンガンの滞在先の中で20年前と現在の滞在先が道路一本を挟んだ距離にあるというのはなんとも変な因縁を感じる。
20年前の当時はそのバンガロー以外は何もなく全てはただのジャングル。
ツーリストなんてほとんど来ない辺鄙な地に静けさを求めてやって来る旅人たちの秘密のバンガローだった。
静けさを求める旅人が大勢集まってくると、だんだんと活気を帯びてくるのは自然の理。
この20年の間、そのバンガローをきっかけにして段々と村が発展していった。
その後は、ここ10年くらいに出来たタントラヨガという愛とセックスのヨガを教えるアシュラムが中心になり、新たなタイプのツーリストを呼び込んで独自の発展をしている。
今では、あらゆるスピリチュアルなイベントとワークショップのメッカのようになっていて、世界中から精神世界の最先端の文化がこの村に集まって来ている。
旅人の世界においても、今最も旬のホットでクールな話題のスポットだ。
僕たちは友人のレストランにしばらく滞在するつもりだったのだが、現在は改装工事のためにレストランを閉じていて、中は乱雑に散らかった工事中の雰囲気。肉体的にはあまり快適ではなかったので、僕たちは他に快適に過ごせる家を森の中に探すことにした。
バイクを借りてジャングルの中を散策しながら何件もの家を訪ねて廻る。
いくつかの家は、すごくいいのだけど高すぎ。
他の家は、安いけどあんまりよくない。
他の家は、安くてすごく良いけど、物凄くカビ臭かったりした。
僕達が家を探していた日はちょうどクリスマスイブで、一年の中でも一番忙しい日、それでも僕達は諦めずに一件一件家を訪ねて廻る。道を進むうちにだんだんとジャングルの奥深くに突き進んで行った。
しばらく探し回った末に、すごくいい感じの木製のバンガローを山の奥深くの静かなジャングルの中の川のそばに見つけることが出来た。
村の中心からはバイクで15分ほどの近距離にありながら人や車やバイクの喧騒などなく、川のせせらぎと谷間の涼しさと木陰の心地よさに囲まれている。
バイクでちょっと行けばビーチも山も滝もいろんなイベントにも簡単に行ける。
隣のバンガローからは適度に距離が離れていて、調理器具や冷蔵庫、家具、ホットシャワー、 Wi-Fiなど基本的な設備は全て整っていて、高台にあるバルコニーもいい感じ。
キッチンには鍋が一つとフライパンが一つ、お皿が数枚にカップがいくつか。こういうのって、ほとんどの人にとってはシンプルすぎるキッチンだと思うけど、僕たちはずっと旅をしているので、キッチンを持つ機会があまりなく、この程度でもすごく嬉しかった。
このバンガローの値段は3ヶ月まとめて借りると1月あたり8000バーツ、ひと月あたり一人13000円ほど。
3ヶ月間のホリデーをこんな素敵な質の良いバンガローでこの値段で過ごせるなんてすごくいい話だと思い、僕たちは他に部屋を探すことを止めて、ここを借りることに決めた。
すぐに移り住み、快適な日常を過ごせるように動き回り始める。
街にある業務用のスーパーマーケットで大量に食べ物、特に穀物、豆類、スパイス、調味料、そして追加の調理器具などを購入。
全ての食料買い出しが終わった後は、ただのんびりと家にいて美味しいものを作って食べようという計画。
ほとんど毎日、僕たちはただ料理して食べて寝て過ごした。ひたすらゆっくりと怠け者の生活。
しかも嬉しいことに大家の飼い猫や近所の野良犬がしょっちゅう遊びに来てくれるので退屈しない。
ありがたいことにこの島に何年も住んでいる友人が今ちょうどインドに行っていてバイクを使っていないので、ただでバイクを貸してくれることになった。
バイクのレンタル料は結構安いんだけど、毎日3ヶ月間も借り続けるとそれなりの額になるのでただでバイクを使えるのは本当にありがたい。
毎週土曜日になると、近くの町でマーケットが開かれるので、ハンドパンをストリートで演奏したり、他にもワークショップやダンスイベントなどで演奏して少しずつお金を稼いだりしつつも、基本的にただのんびりと暮らす。
たまには島の南の方に行って無料のサイトランスパーティーに行って踊ったりもした。
一度はあまりに踊りすぎて全身筋肉痛になり、汗でびちょびちょの上に冬の夜風に吹かれて家に帰ったときは体を冷やしすぎて、その後はやはり風邪をひき、高熱が2週間ほど続いた。
その時は動き回る気力も全くなくなり、ただベッドの上に寝て本を読んだりインターネットしたりという日々。
その間はずっと月子さんがケアをしてくれました。どうもありがとう。
僕は長期の高熱が続いたので、マラリアかデング熱になったのかとも思った。でも今では、はっきりとは分からない。(後でわかったのはこの熱の期間中雨が続いていて、部屋のカビが活性化されて体に悪影響を与えていた。)
まあどちらにしろ、それはすごく良いクレンジングとデトックスになり、その後の体の免疫力は以前に増して強くなった。
高熱の後にはすっかり強く健康になって、またストリートやイベントで音楽を演奏するようになれた。
それからしばらくすると、僕のアメリカ人の友人のディジュリドゥ奏者がカリフォルニアからタイに旅をしにやってきて、ついでに僕を訪ねてきて10日ほど居候していった。
ちなみになぜカリフォルニアからの訪問者が多いかというのには訳がある。
旅人たちの間で秋から冬にかけてカリフォルニアで薬草の剪裁のバイトをしてお金を稼いで、残り9ヶ月ほどを世界中旅して遊んで暮らすというのが流行っているのだ。
かなり給料が良いことと、ビザの種類や国籍にかかわらず雇ってもらえること、そして収穫期に世界中から旅人やアーティストが集まってきて一緒に働くのでかなり面白い時間を過ごせるというのも魅力の一つだ。
その時期にはカリフォルニア北部のそれぞれの街であらゆる音楽イベントやワークショップが開催されて、3ヶ月の間カリフォルニア北部が一つの大きなフェスティバルのようになる。
前述の旅人の社会の金銭のかなりの割合がその時期に生み出されている。
1ヶ月で100万円以上を貯金するとかざらにあるし、秋冬のカリフォルニアをベースにして何年も世界中で遊んで暮らしている旅人も数万人単位でいるはずだ。
かくいう僕も3年前まで剪裁のバイトをしていたし、農家に住み込みで働いていたこともあった。
以前に僕がカリフォルニアにいたときは友人のディジュリドゥ奏者の家に泊めてもらって、一緒に演奏したり、レコーディングしたりしていたので今回は立場が逆。
彼との交友はかれこれ6年ほどになるが、これまでも世界各地で偶然/必然になんども出会っている。彼も僕と同じようにノマドで旅するミュージシャンで、人生を本気で遊んで暮らしているので、お互いにある種の特別なリスペクトがある。
彼がここにいる10日間の間に僕たちはいっぱいジャムセッションして、レコーディングして、イベントでパフォーマンスしたり、一緒にコンタクトインプロビゼーションやエクスタティックダンスで踊ったりと、僕たちは 一緒に遊んでいろんな冒険をした。
毎週土曜日のマーケットでのストリートパフォーマンスに居候中の友人もついて来た。
ハンドパンとディジェリドゥは音域と音の種類がお互いのかけている部分を補い合うので相性がいい楽器同士だ。
マーケットでバスキングするといい反応があるだろう。
早速いつもの僕のバスキングスポットに向かい演奏を開始する。
人も立ち停まるし、投げ銭も好調だ。
僕たちがマーケットのストリートで演奏していると、しばらくしてマーケットの管理人が僕たちの演奏を止めにやってきた。
普段僕一人で演奏する分には誰にも文句を言われなかったのだが、友人の演奏するディジュリドゥは特殊仕様で叫ぶような音色を出すのがうるさくて色々と苦情が出たみたいだ。
僕たちはマーケットのメインストリートから追い出されたので、マーケットの玄関口の方に場所を移した。
マーケットの敷地を少し出たところにいい感じの隙間を見つけて、そこならマーケットの人の流れを捕まえることもできるし、”マーケットの管轄外”なので文句も言われることもないだろうと、意気揚々と演奏を再開した。
僕たちは気持ちよく演奏を続け、どんどんと人だかりが出来てくる。投げ銭も気前よく放ってくれるし、全てうまくいったかのように見えた。
だが、この”マーケットの管轄外”というのが実は曲者だったようで、それはイコール警察の管轄という意味だった。
しかも、僕たちが演奏した場所は派出所から30メートルほどしか離れていない場所。
ここまでおおっぴらにやられては警察官も止めないわけにはいかない。
案の定、警官がやってきて、演奏を止めるようにと言ってきた。
彼らは僕のパスポートを取り上げて、僕たちを警察署に連れて行くという。
外国人なのに値札を書いてCDを売っていたのがまずかったらしい。
まずいことになりそうな予感がしたので、ひたすら謝り、警官をとりなして、もう二度と演奏しないと誓うことで解放された。
全てが一段落ついた後に、近くにいた西洋人の女性が僕たちの近くに来て話し始めた。
彼女が言うには、君たちは本当にラッキーだ。私の友達はここで演奏していて国外追放されたよ、とのこと。
おー、マジで!? そうか、そういう意味では僕達は本当にラッキーなんだ。
僕はストリートで演奏することがそんな大変なことになるとは思ってもいなかった。
もうこのストリートでは演奏はできないけど、国からは追い出されずにすんだ。僕たちはラッキーだ!
僕たちはその件をポジティブに受け止めることに決めて、運の良さを祝うことにし、その足でフードマーケットに向かい、大きな尾頭付き鯛の炭火焼を運の良さと魚の命に感謝しながら食べることにした。
”僕たちはラッキーだ”と呪文を唱えながら、美味しい魚とともにその日を終えた。
つづく。。。
次回は、居候中の友人とセイルボートでの無人島ツアーに誘われて、海難事故に巻き込まれる話です。
タイのヒッピーアイランド、コパンガンでの生活2(現在009)
(この記事は2017年3月3日に自身のブログに投稿した物を加筆修正してアリスに再投稿したものです。)
僕のブログを初めて読まれた方はこちらもどうぞ。