宮崎県の椎葉村という村に連れて行ってもらう機会がありました。
この村は、800年前に壇ノ浦の戦いで滅亡した平家の残党がたどり着き、姿を隠しながら暮らしていたそうです。
高千穂から椎葉村までは約1時間弱。
まず椎葉ダムに行きました。
この時期は水位が低くあまりダムの雰囲気はありませんでしたが、辺りは一面の山に囲まれていて秘境感がありました。
確かに逃げ延びた平家が姿を隠しながら暮らすためにはぴったりな場所です。
平家の生き残りが椎葉村に住み始めてしばらくたった時に、源頼朝が椎葉村に平家が潜んでいることを知ってしまい、その討伐に弓の名手・那須与一が平家の討伐に送り込まれることになったそうです。
しかし与一が病気になってしまい、代わりに弟の那須大八郎宗久が送り込まれたそうです。
しかし椎葉にたどり着いた大八郎は、ひっそりと農耕をしながら暮らす平家たちの姿を見て、討伐をためらい、幕府には討伐を果たしたと嘘の報告をしたそうです。
その後那須大八郎宗久も椎葉に暮らすことになったそうです。
毎年11月には椎葉平家まつりが開かれ、今でも平家の伝承文化が引き継がれています。
椎葉ダムの後は、"仙人の棚田"と呼ばれる景色を見に行きました。
ここは椎葉のマチュピチュと呼ばれています。
大いちょう展望台と呼ばれる場所まで行くと仙人の棚田が見渡せます。
展望台までの道のりは、細い山道が続きとんでもない悪路でした。
ですが展望台にたどり着き、棚田を眺めた風景は絶景でした。
とても雄大な光景。
椎葉村では、農作業をお互いで助け合う相互扶助の文化が古くからあり、村民たちが助け合いながら田畑や森林、文化を守っています。
この村には日本で唯一焼畑農業を継承している農家もあるそうです。
相互扶助の農作業、焼畑農業などは、以前自分が関わっていたカンボジアのジャライ族との共通点を感じました。
この景色は本当にペルーのマチュピチュにそっくり。
棚田の様子とか、周りの山々の感じ。
濃い緑の雰囲気などなど。
宮崎県の意外な場所に、平家の生き残りの人たちが、ジャライ族のような生活様式を持ち、ペルーのマチュピチュのような景色の村を作って暮らしていました。
意外な発見でした。