10年ほど前北海道の国際協力団体の現地スタッフとして、カンボジアのジャライ族と関わることになりました。
3年ほどの期間、毎月自分とカンボジア人スタッフ2人の3人で村をおとづれていました。
その道のりですが、まずカンボジアの首都プノンペンから乗り合いのマイクロバスで悪路を10時間以上かけてラタナキリ州の中心のバンルンというところに行きます。
このバンルンが普段自分が生活をしていた場所です
そしてバンルンからバイクで5時間くらいかけてジャライ族の村に向かいます。
かなりの悪路で、雨季は粘土質の土がドロドロになり、バイクがぬかるみにはまりやすくなります。
乾季には、土が乾燥して、砂埃が舞い時には視界も遮るくらいの悪路です。
水牛が水浴びしている横を通過していきます
カンボジアのお坊さんも川を横切るのに苦戦していしていました😅
こんな感じの道を通ってダル村(ジャライ族の村)に到着しました。
初めて村に入った時、一気に子供達に囲まれました。おそらく日本人を見るのは初めてのようで、みんな好奇心いっぱいでこちらを眺めていました。
ジャライ族の女性はきれいな人が多いです。
基本的に彼らはこのような藁葺きの家に住んでいます。
この村は比較的アクセスしやすい場所に位置しているために、服やお菓子などが生活に浸透してきていました。
ですがもう少し森の奥のジャライ族の村は、若い人でもまだ昔ながらの格好をしている人が多いです。
これは彼らが狩りでとってきたジャコウネコの赤ちゃん。
親はすでに料理されていて、赤ちゃんも食用で食べるというので、あまりに可愛かったのでペット用にもらって帰りました。
でもわずか10日くらいで死んでしまいました😭
初めて村を訪れた初日から、彼らは自分たちを歓迎してくれて、初日の夜は村人がほぼ総出で歓迎の飲み会をしてくれました(次回詳しく書きますがこの飲み会はかなり曲者です)。
飲み会自体はかなり大変でしたが、彼らが普通に自分たちを受け入れてくれたことがとても嬉しかったです。
私たち日本人って、普段は自分でも気がつかないうちに周りの人や状況を判断したり比べたりして生活しています。
初めて人と会う時でも、その人の職業や、年齢、その他いろんな状況を無意識に自分と比較して、安心したり劣等感を感じることもあります。
それぞれの人がいろんな価値基準を持って、何かしらの判断をしながら日常を生きています。
その判断で無意識にいろんな分断を自分で作り上げてしまって、生きづらくなることもあります。
当時の自分はそんな日本の現実に少し疲れていた時でした。
一方ジャライ族は、そういう基準で他人を見ていません。
それは人間だけではなくて、動物や植物、川や森などの自然、全てを同列に見ているようでした。
全ての人間や動物、自然物をただ存在するままに認識して、あまり判断や比較をしていないようでした。
その背景には、全てものに生命(精霊)が宿ると考える彼らのアニミズム思想があるのだと思います。
あらゆるものをただそのままで見て、そのままで受け入れる彼らの世界観は当時の自分にとって本当に新鮮なものでした😊
とはいっても日本の常識にどっぷりだった当時の自分にはたくさんの苦労もありました。
特に彼らは平気で約束を忘れます。
言っていることは毎回コロコロ変わります。
はじめのうちは、かなりイライラしたり怒ったりしていました。
でもある時、”約束は守らなければいけない” といった考え方すらも日本人が小さい頃から信じ込んでいる一つの価値観に過ぎないのではないかと、ふと思いました。
これをきっかけに、他にも文明社会の中で作り上げられた固定観念を絶対的な真実だと思い込んでいることがたくさんあることに気がついていきました。
彼らと関わっていく中で、いつの間に自分が身につけてきた観念や価値観、こだわりに気がついて、少しずつ手放していくことができました。
とても貴重な時間でした😆
次回はジャライ族のお酒に関する風習を紹介します。