千寿の天むすを近鉄名古屋線特急賢島駅行で食べました。天むすは、海老の天ぷらを具にしたおにぎりです。海老のプルプル感が米の食感と全く異なり、食べることが楽しくなります。この楽しさはたこ焼きと共通します。これが飽きない名物料理の魅力でしょう。天丼のように見た目のインパクトはなく、普通のおにぎりと変わりませんが、食べて分かる魅力です。
天むすは名古屋飯として知られています。私は名古屋城のお土産で天むすのキーホルダーを買ったことがあります。このように天むすは名古屋名物になっています。ところが、実際は、天むすは三重県津市が発祥です。三重県津市で天ぷら屋を営む千寿初代の水谷ヨネさんが考案者です。
水谷さんは昼食を作る暇がないほど多忙でした。それでも栄養のあるものをということで、車海老の天ぷらをおにぎりに入れたところ、美味しいと評判になりました。千寿は「めいふつ天むすの千寿」(元祖 天むすの千寿)と称しています。
天むすは手早く作れて手早く食べられるというファーストフードの価値を有しています。ファーストフードと言えばハンバーガーが代表格です。ハンバーガーの特徴は主食と具を一緒に食べることです。日本の江戸時代のファーストフードは握り寿司です。これも主食と具を一緒に食べます。これらは、おにぎりとも重なります。おにぎりの具材は海産物が魅力的です。これも寿司と重なります。
水谷さんの店は三重県津市大門にあります。津観音の門前町として発展した繁華街です。津観音(恵日山観音寺)は浅草観音、大須観音と並ぶ日本三観音の一つで、真言宗醍醐派の名刹です。本尊は秘仏の聖観世音菩薩。木造の五重塔があります。映画監督の小津安二郎の記念碑もあります。小津は東京市深川区万年町(東京都江東区深川)生まれの江東区ゆかりの人物ですが、三重県で育ちました。
津観音は奈良時代の初めの和銅2年(709年)に開山しました。阿漕ヶ浦の漁夫の網に聖観音立像がかかって、これを本尊としました。漁をしていて本尊を発見した由来は浅草観音の浅草寺と共通します。関ヶ原の合戦の前哨戦の安濃津城の戦いで焼失しました。
津藩主になった藤堂高虎が1613年に津観音を再建しました。津観音は津城の鬼門守護の役割も果たし、周辺は門前町として栄えました。「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と謳われましたが、伊勢神宮参拝者は津観音にも詣でました。伊勢神宮内宮で祀る天照大神の本地仏と宣伝され、「阿弥陀掛けねば片参り」と言われる程でした。1945年の空襲で多くの文化財と大伽藍を焼失しました。
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