

noteでは毎年「#私の就活体験記」のハッシュタグの元,様々な就活エピソードが投稿される.ランキング上位に出てくる作品は大抵「強い軸を持って行動できているもの」ばかり.俗っぽい言い方をすれば「意識高い」系が多い気がする.
そこで,そのような情勢に一石を投じたく(?),この記事では最初(就活)から最後(今)にいたるまで惰性で生きている私のエピソードを投じたい.
過去にも何度もこのテーマで記事を投稿しようと考えた.しかし,自己表現がうまくできない,傷口に塩を塗っている感覚が拭えず,毎回挫折していた.
それでも今回投稿できたのは就活から随分と年月が経ち,昔日のこととして認識ができるようになったことと,チャットGPTの台頭が大きい.私は感情がないわけではないが,その感情を文章として/表現として出力することが難しい.チャットGPTは私の感情をうまい具合に代弁してくれたので,この記事を執筆する上で大きな支えとなった.
なお,noteではなく,ALISで投稿した理由は間違いなく多くの人に見られることからの「逃避」だろう.この記事は何の盛り上がりもないので,noteで投稿したところで多くの人の目に留まることはないだろうが,ユーザ数が相対的に少ないALISの方が厳しい声にさらされるリスクが低いのではないかと思った(チキン).
前置きが長くなったが,流れでやった就活と,惰性で生きる今の話について始めていこう.
「別に、あなたがやらなくてもよかったのでは?」
就活中、ある面接でそう言われたことがある.たしか、大学で関わった課外活動について話したときだった.感染症の流行で開催形式が変わった企画運営の一部を担当し、外部とのやりとりや事前調整などの役割をこなした経験を話した.
それなりに手間も時間もかけたつもりだったし、自分としては「これこそが就活で一番アピールできるエピソードだろう」と思っていた.でも、その一言を聞いたとき、心がまったく動かなかった.
「まあ、確かにそうかもしれないな」とすら思った.悔しさも、怒りも、悲しみも湧かなかった.
就職活動は、最初から“椅子取りゲーム”をやらされているような感覚だった.限られた「内定」の枠を巡って椅子の取り合いをする.「ガクチカを書け」「志望動機を語れ」と言われても、自分の中には出せるものがほとんどなかった.
当時は3月1日が名目上の就職活動の解禁日だった.3月以前でも早期選考などの名の下で各企業が採用活動をしていたが,「就職活動本格化」と題されるのは3月1日以降だった.
解禁日直前の2月に開催された合同説明会に参加したことがきっかけで、飲食業界の個別会社説明会に参加することになった.特に興味があったわけではないが、なんとなく「参加者はステーキを食べられます」という案内に惹かれたのかもしれない.説明会の最後に「選考日程の希望を教えてください」と言われ、現実を直視することになった.「この場で決めなければいけないですか?」と煮え切らない態度を取ったところ、人事の方から「もうどこの会社も選考始まってるよ、乗り遅れるよ」と苦言を呈された.結局、選考はしぶしぶ予約したが、志望動機も何も浮かばず、面接当日の前日にキャンセルした。
当時、私の近くにいた友人は、いわゆる“コミュ力お化け”だった.サークルでもいつの間にか人の輪の中心になっている.そんな彼女は面接でも場の空気を掴んで、複数の企業から内定をもらっていた。確か,彼女が最初に内定を得ていたのは3月中旬ごろだっただろうか.複数社から早々に内定をもらうその姿を見て焦らなかったと言えば確実に嘘になる。あの頃は、焦燥感と希死念慮に支配されていた.就活に失敗して自殺した学生のニュースを新聞社のデータベースで見つけ,親近感を覚えたことを覚えている.
自分も4月にはなんとか今の会社から内定が出たので、客観的には“無い内定”に苦しんだわけではない.しかしながら,内定が出るまでは夜眠れない日が続いた.心は常に落ち着かず、自分が取り残されているような感覚ばかりがあった.
そもそも、私は就活が本格化する3月まで、ほとんど何の準備もしていなかった。周囲には早くからインターンに参加し、企業研究を進めている人もいた.私はただ流されるように小売業を営むある会社の1DAYインターンに行っただけだった。理由も明確ではなく、「自分がよく利用するお店だったから」程度のものだった。
選考で受けていた企業も、自分が大学時代にバイトしていた業界と同じだった。小売業。強い興味があったわけでもなく、なんとなくで志望業界を決めてしまった。「バイト経験があるから」という薄い理由に、何とか肉付けをしようともがいたがうまくいくはずがなかった.
印象に残っている失敗もある.ある会社説明会で「うちは個性豊かな人が多いです」と説明されたことを真に受けて、「尖った新人」を演出すれば選考に通るのではと考え、意図的に奇天烈な内容のエントリーシートを提出した.結果、面接官には苦笑され、一次面接で落ちた.ちなみに、”コミュ力お化け”な友人もたまたま同じ会社を受けていたが,最終面接で落ちていた.
そんな就活を経て、新卒で入った会社に今もそのまま在籍している。特別な理由があったわけでもなく、ただ続けていたら年数が経っていたというだけだ。
この会社は離職率が高めで,毎年大量に新卒を採用している.入社してから知ったことだがお祈りされる人の方が少ないと言う.入社前の評価は決して高くなかった。面接時の社内評価では、合格者の中でも最低ランクに分類されていたらしい。最終面接で「入社後にどんなことをしたいですか?」と聞かれた際、しどろもどろになって「いろんな店舗に行って、経験を積みたいです」と曖昧な返答しかできなかったのでその評価は妥当だろう.あのときの自分にかける言葉は今も思い浮かばない.
そして,現在に至るまでその「最低ランク」から抜け出せていないという感覚がある.仕事の評価が周囲と比較して著しく低いわけではない。ただ、自分の中で「もっとやりたい」とか「こうしていきたい」といった感情が芽生えないまま、上司から振られた仕事を淡々とこなす日々が続いている.
毎日の業務は堅実にこなしている。だが,”惰性”で動いている感覚がずっと残っている.やりたいことが見つからないまま、時間だけが過ぎている.
上司からは「改善起案をしてほしい」と言われることもある.でも、「変えたい」という気持ちが湧かない.現状に問題がないとは思っていないけれど、「じゃあどうしたいのか」と問われると、何も思い浮かばない.
「仕事で大切なことは熱意である」「今後のキャリアも考えましょう」——そんな言葉を何度も聞いてきた.でも、正直なところ、仕事への熱意とか今後のキャリアとか言われもピンとこない.
完全に諦めているわけでもないけれど、何にも夢中になれず、流れるように時間が過ぎていく.それが今の自分だ.
今こうして文章にしているのも、何かを伝えたいというより、ただ頭の中に溜まったものを外に出しておきたかっただけなのかもしれない.
でも、もしかしたらこの話が、「やりたいことがない」「頑張れって言われても何も湧かない」と感じている誰かにとって、ちょっとした安心材料になるかもしれない.
自分という存在を少しずつ言葉にしようとしている.それだけは、無意義ではないと信じたい.











