世界にはタイミングが必要である。タイミングが全てと言ってもいい。あるときに不要なものがあるときには必要になり、同じことを言われてもタイミングで全く違う影響を得る。相手やモノが違うということはさして大きな問題ではない。これらはすべてタイミングによって作られた影響の大きさなのだ。好きも嫌いも良いも悪いもタイミングである。
はたして私にとってダブルチョコレートを選ぶタイミングとはなんであろうか。
ある日の午後食後しばらく経って落ち着いた胃袋と休息の一杯を飲もうという時。腹の具合を確認してみるとまだ昼食がたまっている。かと言って昼から思考を繰り返し疲弊している脳に糖分を取り入れることとリフレッシュの時間はしっかりとそのために使いたい。いつものミスドに一旦座りコーヒーを目の前にケースを眺めるとそこには一口で全てを飲み込めるフレンチ系、一口一口をしっかり感じられるオールドファッションがある。他にもモチモチ系やパイが見える。
其の中でカリカリという音が口の中で蘇る。パイのサクサクでもポンデのモチモチでもない。これはチョコクランチか。ああゆっくり噛むと口の中でねっとりと広がるチョコ生地とその間を支配するカリカリというクランチだ。
小腹よりも小さな隙間には少し大きな、この黒に近い茶色の輪をコーヒーの苦味と混ぜるように味わうことにしよう。
平日の台風前で今のうちに買い物を済ませようという人が多くいるようだ。最近油断値がちだった台風への対策は近頃熱を持っているように見える。人は慣れる。そして忘れる。気をつけて用心していれるのはごく短い期間でしか無い。少し落ち着けば優先順位は落ち気をつけていると口だけで答えるようになる。これは悪いことでもサボったり頭が悪いということでもない。単にそれが人間の仕組みなのだ。
また忘れた頃に誰かが犠牲になり其の犠牲を元にしばらく気をつける。そのときにせめて身近な誰かが犠牲にならぬよう用心をしたいと思うものである。