「ローカルにホンモノがある。
ローカルにストーリーがある」
と前回で書いたが、その補足になるのかな。今回は。
でも、この補足のほうが僕の思いが詰まっている気がする。
おそらく、すべての「製品」にはストーリーがある。
たしかに、僕一人が扱えるのはそのほんのわずかだと思う。
でも、一つでも多く、製品とそのストーリーを伝えたい。
なぜそのストーリーを伝えたいか。
それは何かにまつわる話を聞いたとき、とても楽しいから。
そしてそれ以上に、その話を語るときがとても楽しいから。
何か知らなかったことを知ったとき、楽しい。
それは好奇心だけではなく、向上心も要因にあるかもしれない。
ただ、なぜ楽しいか、を掘り下げたいとは思わない。
とにかく、楽しいし、うれしい。
知ったことを誰かに語るとき、楽しい。
人が知らないことを知っているという優越感だ、
自分を良く見せたいという自己顕示欲だ、というかもしれない。
ただ、なぜ楽しいか、を掘り下げたいとは思わない。
とにかく、これも楽しいし、うれしいのだ。
メイドインローカル製品たちはストーリーにあふれている。
そこで発祥した、という歴史や、
連綿と受け継がれてきた、という伝統、
歴史は深くはないけれど、激動の時代に挑戦したスピリット、
県民性からくるかもしれない開発者のパーソナリティ、
開発に至るまでの紆余曲折に臥薪嘗胆といった秘話に悲話。
メイドインローカル製品たちは自分たちでは語らない。
だから、僕がまず語りださねばならないと思うのだ。
たしかに便利なこの時代、わからないことはグーグルが教えてくれる。
実際、メイドインローカルのサイトだって、グーグルが教えてくれる。
でも、グーグルはインターネット上にあることを網羅しているけれど、
開発者や作り手や売り手のテキストデータになっていない想いは
まだ検索できないはずだ。
さらにグーグルは、知らなかったことを知った喜びとともに
ストーリーを熱く語れるだろうか。
そして、情報を表示したとき、
グーグルは「なんだか楽しい」という感情を持てるだろうか。
まだ、僕ら生身の人間ができることは残されている。
単純に楽しむこと。
知らなったことを知った時、
物語を語る時。
プロダクトとは作り手の情熱の依り代である、というのは当然のこと。
だが、買い手の喜びの依り代でもある、という側面もあった。
だから、手にしたものを語ってほしい。
語る喜びで僕らの毎日が満たされてほしい。
その「欲しい」の理由は?
そう、単純にそっちのほうが楽しいから、である。
made in local onlineshop