自分を振り返ると、長く続けれてるものは常に「頑張っていないもの」で、逆に「頑張ってたもの」ほどもうやっていない。
頑張ろうと思うことで自身が奮い立たせれる人は良い。でもそうでない人は「頑張る」という選択はプログラムから削除しよう。
それくらいでエラーは起こらない。むしろ動作が早くなる可能性すらある。
健康の在り方が体質により人それぞれ違うように、あなたを動かすプログラム言語はあなた自身だ。他では使えない。
僕はなぜそう思っていたのか考えたら、「周りがそうだったから」という結論になった。自分の頭で考えれてなかったのが原因だ。
頑張らなきゃいけないと思い込んでいたことで、合わないことを無理して辛くなっていた。
「頑張る」は、無理やりやることではない。勝手に頑張ってしまうものだ。
「和風ジャズなんて弾くのやめれば?マニアックで誰も聞かないよ?」
こんなこと言われたって頑張るのをやめない。生活費を稼げるわけでもないのに、必要以上に頑張ってしまう。困ったものだ。やめれば収入は増えるかもしれないのに。
ボタンをオンにする「頑張る」はいらない。困ったことに、楽しいから僕は勝手に電源がついてしまうんだ。
----
仲の良い友達とドリンクバーをお供に日が暮れるまで話をしてた。終わった後、
「頑張ったなぁ、俺」
なんて思ったことはない。笑 ただ、ただ楽しいんだ。
----
それらは全ては好きなものを知っていることが発端だ。好きだから勝手に頑張ってしまう。そして好きと分かっているから、それをやれる。
頑張るとかどうでも良い。頑張らなくて良い。だけど、好きに気づかないのはもったいない。長く続けているもの、興味を持っているもの。知識だったり、作るプロセスだったり。
僕は時間が空くとカフェに入ってしまう。
ジャズも好きだから合わせて古民家ジャズカフェという生配信をしてる。好きなもの繋げて何かを始める。
こんなこと考えてやってると頑張るなと言われてもやってしまう。
好きなものは気持ちが昂るものだとは限らない。
好きという気持ちはアップデートする。学生の頃は情熱的だったけど、今は毎日触れることが当たり前になる。
僕はピアノを19歳で始めた。もう18年経つが未だに毎日弾く。完全にスキ認定されてる。気持ちより行動が証拠だ。
学生時代のアゲアゲなアドレナリン的スキ。一時的な高いピークを作るが、僕はずっとやり続けるセロトニン的スキが好きだ。(ややこしい)
アドレナリン的スキは反動で大きなサゲもある。気をつけたい。
ずっと続けれるセロトニン的スキはまさに頑張らないことだ。「頑張る」とアドレナリンで反動もくる。
セロトニン的スキを認識して積極的に頑張らないでおこう。
「頑張らないこと」と「すき」とはそんなもの。学生時代の情熱が感じないから違う、と思うのは好き初心者だ。
僕は仕事でピアノを弾くが仕事になったとしても好きなものはやっぱり楽しい。それは好きがアップデートしていることを知ってるからだ。
今は好きを試しやすくなり「好きのアップデート」を認識しやすくなった。30年前ならこれは難しかっただろう。良い時代になった。
かねこ、好きをたくさんやるんだぞ。
ひとつだけ例外の話をして良いなら、僕はザ・クロマニヨンズを聴いた時、アドレナリン的スキでアガった。
そして今もそれは下がることなく、「生きる」を聴きながらこれを書いている。
人の健康が体質により違うように、これもまた人それぞれだ。
大事なのは自分の頭で考えて行動すること。この内容も人それぞれだ。
もし自分の出した答えなら、自分に解決できる。他人の決断で身を委ねるのはやめよう。上手くいかなかったときにそのまま言い訳になる。
さてさて、当てはまってた僕は、例外的にアガったりもしている。世の中は案外そんなものなのかもしれない。
日々のつぶやきは、
見てるだけで音楽教養。かねこのジャズチャンネル
和風ジャズピアニストかねこ