最近見た映画にテーマが自分と向き合うこと、というのがあった。自分の光の部分だけではなく闇の部分とも向き合うことで自分を取り戻す、というものだ。
見ていて、「なるほど」と思い、よし、僕も自分を取り戻してみよう、と思った瞬間に頭がはてなマークになった。「自分と向き合うって何をするの?」
僕の結論は自分と向き合うとは「自分のやっていることを、感じていることを一つ一つを認知すること」。この結論は以前にも書いていて「周りのこうしなさいの重圧は気にせずに、マイペースを優先して自分を受け入れよう」というもの。
自分で試してみて楽になったことを書いた記事。実際に試したからこそ、自分のやっていること自体を一つずつ受け入れる、という具体的なことをやったのだけど、それを「自分と向き合う」ということで捉えてなかったために理解に遅れた。
しかし、最初にこの「自分と向き合う」という言葉を見た時は、なるほど!と思ってしまう。そしてもし、ここで行動をしない人なら「良いことに気付いた」と思い、ここで終わると思う。気持ちの良い気分を残して。
実際に自分と向き合おうとした僕は、はっきり入って何をすれば良いかわからなかった。ただ耳障りの良い言葉だけが僕を駆け抜けていく。それになぜか感激している自分もいた。
しかし行動しようとした瞬間にこの言葉自体に何も意味が含まれてないことに気付いた。そもそもこの言葉だけでは「自分と向き合うこと」は大変に難しい。実行ベースで考えると何をすれば良いかわからない。
この「言葉を理解した気になり、具体的な行動は考えずに満足してしまう」この現象に名前をつけたいくらいに気を付けようと思った。
ということで「空っぽの菓子箱現象」と名付ける…笑。見た目は素敵だけど中身が入ってない…そんなお菓子箱。持ってるだけで満足するけど肝心なお菓子を味わうことは絶対に無い、という…笑
具体的には自分が誰かと遊んでいるときに見たり聞いたりしたときの感情の動き、「あ、今の発言、ちょっと嫌だって思ってる」「いまの返答ちょっと適当だ」、そして自分の行動など「また映画館にきた。先週も来たなぁ。」「あ、UFOキャッチャーの台を揺らした!」、そんなことまで。
その中には良いこともちょっと悪いこともある。そんなことを自分で認知していき、受け入れていく。こんなこと感じるんだなぁ、こんなことしてるんだなぁ、そうすることで自分というものが認知したままの人だということが自然と理解していく。
実際にやっていることベースだから理想の自分と思わない。理想と自分と違うことすら受け入れるきっかけにもなる。(まぁ、それはまた少し難しいかもしれないが…)
耳障りの良い言葉「自分と向き合う」、こんな言葉は山ほどある。それを聞くとまるで何かやったかのような満足感、何かやっているかのような満足感、そんな言葉はどれだけ捉えても自分にはフィードバックしない。
ただし自分が辛いとき、限界な時はそんな言葉をたくさん浴びよう。きっと楽になる。しかしいまやるぜ!モードの時は行動ベースで捉えよう。そうすることで初めて具体的なものへと変わる。
何より一番大事なのはいま自分が、限界なギリギリか、やるぜ!となっているか、自分に合った悩み方をしているかもわりと大事だと思う、今日この頃です。
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365日。毎日ジャズピアニストかねこ