ここ最近よく考えることがある。
それは「何者でもない私」が、どう発信を続けていくかということ。
純粋に発信を楽しみながら続けたいけど、どうしてもネタがないことがある。
そんな時は、人生を振り返って書く記事があっても良いじゃないか、と思った。
今回は自分の中で転機になったなぁと思うことについて書きたいと思う。
バングラデシュとのお仕事
前職では、アパレルの製造卸の会社に勤めていた。婦人服がメインで、大手量販店の婦人服売り場に並ぶ商品の企画・製造している会社。
入社してからほどなくして任されたのが、バングラディシュ工場の生産・納期管理。
その頃の私は、バングラデシュってどこにあるの?レベル…
まさか自分がバングラディシュの方と一緒に仕事をする日がくるなんて、新入社員時代の私には予想もしていなかったことだった。
当時、私の会社では、バングラディシュ生産を始めたばかりで、ノウハウを持っている人はほとんどおらず。
まさに「これから!」というタイミングで任された仕事だった。
でも、特にプレッシャーを感じることはなかった。
他の同期達は営業をやったり、生産のメイン拠点である中国部門のアシスタントをやっていたので、自分だけちょっと違う仕事をしているという優越感もあったからだ。とにかく楽しくて仕方なかったというのが正直なところ。
でも、やっていくと当然の如く、壁にもぶつかった。
こちらの要求に応えられないという工場長。なぜ応えられないのか意味が分からない私。
工場長との電話中、悔しくて泣いてしまったこともよくあった。
仕事において、言葉以上に文化の壁を強く感じ、それを受容して解決に導く力は、当時の私にはまだ足りていなかったんだと思う。だから、感情をぶつけることしかできなかった。
そんなとき上司から「一緒にバングラディシュに行かない?」と声が掛かる。
100%安全とは言い切れないバングラデシュの治安。一応結婚前の女性ということで、出張に連れていくことに少々ためらいがあったようで、お伺いをたてるかのように聞いてきた上司。
「絶対行きます!行かせてください!」
問題を解決できるチャンス…!行かないなんて選択肢は、私の中にはなかったのだ。
工場の方々と会ってみて
バングラディシュは、私にとって初めてだらけだった。
まずダッカの道路が大渋滞であること。30分で100メートル進んだか?のレベル。後から聞いた話ですが、その日はデモが行われていたようだった。
渋滞中に物乞いの人達が、私たちの車の窓ガラスをバンバン叩いてきた。
「キリがないから、お金を渡してはいけない」
現地のコーディネーターからそう言われ、私は外の人たちと極力目を合わせないようにした。
窓ガラスを一枚挟んだ向こうで起こっている現状を、私はどうすることもできず目をつむった。「ごめんなさい、ごめんなさい」と、心の中で何度も唱えた。
この時のやるせない気持ちは、一生忘れないと思う。
私はこの国に生きる人たちと仕事をしている。
今まで感じたことのない、何か強い使命感のようなものを感じた瞬間でもあった。
工場の方たちは、私たちをこれでもかと言うくらい、温かく迎えてくれた。
部屋の隅々まで広がるたくさんのミシン。
私よりも若いであろう女性たちが、私の依頼した服を、一生懸命縫製してくれていた。
その姿を見て、ただただ涙が溢れた。
工場の壁には、私が作った「NG集」が何枚も貼ってある。
サンプルチェックでダメな箇所をまとめ、翻訳サイトで英語にしながら、「こうなったらだめですよ!」というのを私なりに伝えるための資料だ。
みんなで徹底しよう、と工場のありとあらゆる場所に貼ってあるそれ。
つたない英語であることを恥じるとともに、頭が下がる想いだった。
私が仕事をする意味とは
私たちは、この人たちの仕事を作るために仕事をしているんだ、そう感じた。
その頃、社長がいつも言っていたことがある。
この工場を育てることが私たちの使命であり、私たちは工場の方たちの人生を背負っているんだ。
実際に現地に行き、その言葉の本当の意味を肌で感じた。
発注数が少なくなれば、解雇される人が出るかもしれない。
そうすると、私が渋滞中に出会った人たちのように、毎日物乞いをすることでしか生活ができなくなってしまう人が出るかもしれない。
彼ら、彼女らのためにも、販路を拡大し、もっと発注できるようにしなくてはならない。もちろん、値段を安く、安く、と交渉するだけでなく、お互いのベストな価格で、持ちつ持たれつで長いお付き合いができるように。
バングラデシュへの想い
その後も、何度かバングラディシュを訪れた。
ダッカだけでなく、チッタゴンにも行くようになり、自分の故郷がまた一つ増えたような気持ちになった。
それから部署が異動となり、私は雑貨店の運営をすることになるる。
もう仕事でバングラデシュを訪れることは無い。心にポカーンと穴が空いたような喪失感だった。
新しい仕事も刺激的で楽しかったが、バングラディシュへの未練はタラタラで…。行けるもんなら、またバングラディシュに行きたい、そう思っている。
工場長、元気ですか?
私のこと、覚えていますか?
あの時の私はまだ若くて、感情をぶつけてばかりだったことを一言謝りたい。
できるなら、工場長とまた、お仕事がしたいです。
ああ、じんわり泣けてきた。
仕事の中で青春みたいなのを感じたのは、本当にあの瞬間だけだったから。
今回はここまで。次回は、結婚式のスピーチでも社長に話されてしまった、バングラデシュ出張中の失敗談でも書こうかしら。