こんにちは、@keimaejimaです。
今日は、平沢勝栄議員の少子化の文脈での「性的少数者(LGBT)ばかりになったら国はつぶれる」発言への批判を見て、ここは注意した方が良いなと思ったことがあったのでそのことについて書こうと思います。
冒頭の発言に対する批判として、SNSなどを見ると「性的指向は選択可能なものではない」「同性婚を認めた国の方が出生率が上がった例もある」などがあります。
こうした主張を批判する際に、その主張の背景にある前提に注意しておかないと、実は相手の提示している前提を認めてしまうことになりかねないなと思います。
今回の平沢議員の「LGBTばかりなら国はつぶれる」という主張では、大きく下記が主張の前提となっていると思います。
1. LGBTが増えると(生産年齢)人口が減少する
2. 性的指向、性自認は(国家・行政の方針によって)変わりうる
3. 国家の繁栄≒生産年齢人口の増加である
批判の内容によってはこれらのどれか、もしくは複数を肯定してしまうことがあるなと思っております。たとえば、「同性婚を認めた国の方が出生率が上がった例もある」という批判をすると、暗黙的に「国家の繁栄≒生産年齢人口の増加」という前提は認めていることになります。
平沢議員の発言に違和感を感じた人の中には、実は「国家の繁栄≒生産年齢人口の増加」のところには同意していない人もいるんじゃないかな、と個人的には思っています。
ですので、意図せず批判したい主張の前提をサポートしてしまわないためにも、どの前提に違和感を感じているのかを明確にすることがすごく重要だなと思っております。
では僕個人はどう思うんだ、というところについてですが、個人的には以下のように前提を否定した上で平沢議員の主張を批判したいと思います。
1. LGBTが増えると(生産年齢)人口が減少する:真?
2. 性的指向、性自認は(国家・行政の方針によって)変わりうる:偽
3. 国家の繁栄≒生産年齢人口の増加:偽
1はもしかしたら真かもしれません。しかし、性的指向、性自認は確率的・生得的であることがわかっています。また、仮に性的指向、性自認が後天的に持てるものであったとしても単純な因果関係で選んだり選ばなかったりできるものではなく、国家の方針によって変わるとは思えませんしそもそも変える必要もありません(もちろん、他者に危害が及ぶような場合は別です)。よって2は偽です。2が偽である以上は1は真になりえません。ここについてはシンプルに平沢議員の認識が足りていないのではないかと思います。
また、3についてですが国家の繁栄は必ずしも生産年齢人口の増加によって引き起こされるものではないと考えています。たとえば経済成長率を見ても(経済成長率=国家の繁栄の尺度なのかについても諸論あると思いますがここは代表的な指標としてお許しください)日本は高度経済成長期に10%の経済成長をしている間、生産年齢人口の増加率は1%強だったり、必ずしも因果関係が認められているわけではありません。
また、そもそも「国家の繁栄のために子どもを産もう!」という世界観はディストピアだと思いますし、これだけ生産性だAIだイノベーションだと言われている時代に人口と経済性を結びつけて議論するのはナンセンスだと思ったりと、3については色々と違和感があります。
最後になりますが、僕はフランスの哲学者ヴォルテールの「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉が多様性担保の精神を端的に表していてとても好きです。考え方が違っても、その人の人格や存在を否定してはダメだよねと思うのです。
考え方が違っても、人種が違っても、性的指向が違っても、個人が自分らしさを維持していく中でどう社会全体として幸福を担保するのかを考えるのが為政者の役割だと思うのです。また僕自身も、「多様なものを多様なままに」というのはこれからの時代の1つのテーマになるなと思いながら経営をしている次第でございます。
最後はちょっと感情が入ってしましましたが今日は以上です!
※こちらの記事は下記からの転載です
https://note.mu/kmaejima1/n/n9ff8f925be8c