小売業界に縁の遠い人でも、中内功の名前は知っているだろう。小さな薬局店から創業した中内氏は、かつて流通業界で国内トップのダイエーを一代で築き上げ、スーパーマーケット(GMS)というカテゴリーを日本に根付かせた人物である。電機業界の松下幸之助や自動車業界の本田宗一郎らと肩を並べる歴史的な経営者と表現しても大げさではないだろう。
アークスの横山清社長は食品スーパー業界の名物経営者なのかもしれない。北海道と東北地方を地盤とする大手スーパーの社長を決算説明会で初めて認知した。「ナベツネか」と見間違えるほどの貫禄は業界のドンと呼ぶにふさわしい。しかし、周囲を排する雰囲気とは全く無縁で、むしろ語り口は穏やかで優しかった。
説明会資料の最後のページには、今年で85歳になる横山社長の思いが相田みつをのような筆致で力強く書かれていた。「Try One Million! 地方同盟の資源・叡智を結集し デジタル革命をこえ 人心時代を築く」。スーパー業界に身を投じて58年、新日本スーパーマーケット協会会長や全国スーパーマーケット協会理事長を歴任し、2007年には藍綬褒章(公衆の利益を興した者に与えられる褒章)を授賞した功労者の言葉には熱量と重量が感じられる。
横山社長の説明から、食品スーパー業界へのインプリケーションを感じ取ってみよう。ひとつが消費増税の影響である。過去3度の増税を体験した社長も軽減税率の導入は未知との遭遇であり、商品の値付けやポイント還元など複雑かつ細やかな対応が日々求められている印象だ。消費増税への対応の巧拙が、食品スーパー各社の既存店売上高に格差をもたらす可能性が想定される。
もうひとつは『デジタル革命』への対応である。いわゆるレジ打ち係の人手不足を解消する当面の打ち手はセルフレジの導入であろうが、さらに将来を見据えて『レジなし』店舗の開発もアークスは積極的に進める構えだ。
たとえば、スマホのアプリを入り口のリーダーにかざして買い物客は入店、店内に設置された250個のカメラが顧客の動きを捕捉し、手に取った商品を陳列棚の重量センサーが認識する。そして、買い物を終えて店の外に出るとクレジットカードで自動的に決済される・・・情景模写にはわたしの想像が多分に含まれるが、こんな近未来の仕組みを一部の店舗ではすでに試している模様だ。
同様のレジなし店舗が普及することになれば、カメラやセンサーを手がける電機メーカー(たとえば、キヤノンやNECなど)にとってはビジネスチャンスになりえよう。一方で、投資余力のない食品スーパーにとっては、他社との違いを作る競争戦略に磨きをかけるか、大手のグループ傘下に入って生き抜く覚悟を決めるかの意思決定を迫られることになるかもしれない。
「地方同盟の資源・叡智を結集し」という言葉が表すように、横山社長は早い時期から地域スーパーの結集を主導してきた。1990年当時の売上高は400億円程度の地場スーパーにすぎなかったが、北海道や東北地方のスーパーを相次ぎ傘下に収めることにより、現在では北海道、青森、岩手の三県でトップシェア、2020年2月期の売上高は5,155億円を見込むまでに成長した。2025年度をめどに売上高1兆円を目指したい考えだ。
また、グループガバナンスには横山イズムが色濃く投影されている。アークスが純粋持ち株会社としてグループ全体の戦略を統べる一方、傘下のスーパーに対して大幅な権限委譲で経営の独立性を担保する体制が特徴だ。スーパーの場合は生鮮食品などの地域特性が強いだけに、その土地に合わせた柔軟で迅速なマーチャンダイジングを維持したほうがよい。ただし、資本自体はアークスに集約することによって、グループ全体の競争戦略には統一感を持たせている。アークスではこの経営スタイルを『八ヶ岳連峰経営』と呼んでいるそうだ。親会社が中央集権的に統治する『富士山経営』ではなく、2000m級の山々が競い合うように並存して成長を志向する姿を目指したい思いが込められている。
集中と分散を絶妙に均衡させた経営スタイルは、アイデンティティの強い企業をグループ傘下に納めるひとつの好事例と言えるかもしれない。