「空き家問題」ひとつ解決できないでいる。市役所は、固定資産税を支払わない相続人は放置して“取りやすい人から取る”のが仕事だと言う。違法に住居侵入しても、水道も電気も提供するのが適法と言う。
悪法を変えようと思っても、選挙に出るには数千万円が必要。せめて自分の身を守ろうと弁護士に依頼しようとすると、簡単に依頼できないほど高額。結局、泣き寝入りするしかないのが日本の現実。これでは、賢い人たちが日本を脱出したくなるのも当然。
私のクリスチャンの友達が言った。
「仏教でもイスラム教でもいいんだけど、神様を信じていない無宗教の人はコワイ」
その理由を尋ねたら
「だって、宗教って“人を殺してはいけない”とかいった教えがあるでしょう」
「宗教を持っていない人って、教えがない人だから何をするか分からない」
今回の相続トラブルで出会った、二人の姉、市役所の納税課の職員、行政相談の担当の方、県庁から派遣されていた人、水道課の人、中部電力の電話口に出た人。誰一人として“正義”を意識している人はいなかった。ただ、機械的にルールに従って動いているだけ。適法なら何でもしてしまいそうでコワイ。
ところが、日本の価値観は真逆で
「宗教を信じている人はコワイ」
と言う。おそらく、オウム真理教や宗教戦争のことが念頭にあるのだろう。永遠の平行線。
私は帰国して数年後、教会に行かなくなった。アメリカの教会には大学教授も弁護士もいた。大金持ちもいれば、貧乏な移民の人もいた。とにかく、多種多様な人がいた。だから、空き家問題に巻き込まれたら神様の“正義”を心に抱いたクリスチャンが必ずアドバイスをくれる。
ところが、日本は「苦しい時の神頼み」という伝統の国らしく定年退職した人、身体障碍者の人、女性、病気を持った人の割合が極端に高かった。そして、私のように高学歴で仕事を頑張っている人を
「信仰よりこの世の価値を重視する人」
と陰口をする人が多かった。私はあんな所にいたら人を愛することが出来なくなると感じて教会に行かなくなった。
ローガン中学校の教師はしばしば
「怒る人が悪いんじゃないんだよ。怒らせる人が悪いんだよ」
と、生徒に教えていた。
真面目に納税している市民が納税しない姉に文句を言った時に、納税課の人が
「取りやすいところから取るのが仕事」
と言ったら、相手を怒らせるに決まっている。
日本は車を運転すると人の迷惑を顧みないドライバーに出くわし、職場に行けばパワハラ上司がいて、道を歩けば歩行携帯や歩行喫煙者に出会う。ユタでは、そんなドライバー、上司、喫煙者に出会ったことがない(ユタでは宗教上の理由で喫煙する人は外国人くらいしかいない)。
そして、こんな日本を嘆くと
「アメリカかぶれ!」
と、非難される始末だ。
近所に住んでいるから私が相続人と勝手に決めつけ
「相続人が他にいたの知らなかった」
というのは、行政の怠慢ではないのか。こんな庶民の常識が通用しない日本。本当にそれが法的に正しいのか、来月弁護士に尋ねるつもりだ。