「弁護士さん、襲われてます!殴ってもいいですか?」
日常的な役所との付き合いは「納税」。ふつうは自分の税金を自分では計算できない。税理士とか民商とか“専門家”に依頼しないと無理。
私は離婚調停の経験があるが、家庭裁判所から呼び出されて話をすると
「調停が不調に終わったら、離婚訴訟になるので弁護士さんを依頼してください」
だった。なんで、自分の離婚のことを自分で話したり決めたりできないのだろう?
ネット詐欺にひっかかり少額訴訟になった時は、車で1時間もかかる簡易裁判所に出かけるのはバカバカしいので弁護士に丸投げするしかなかった。遺産相続は今も揉めている。こちらも、司法書士の方に書面の作成や姉への連絡をお願いするしかない。
税理士も民商も弁護士も司法書士も、みんなそれなりにお金がかかる。
「なんで、自分の納税やら離婚、遺産相続をするときに高額の費用を払って専門家に依頼しないといけないの?」
もちろん、弁護士なみの知識があれば自分で全部できるのだろうけど、そんなこと出来る人はごく少数でしょう?大多数の人には理解不能な辞書より厚い六法全書を作って、自分で自分の問題の処理ができないようなシステムになっている。
これって、おかしくないですか?
先日、電車の中で喫煙している人に注意した高校生が重症を負わされましたね。周囲の人が高校生に手を貸さなかったことを批判する人もいました。私も相手が強そうなら逃げるか、関わらないように気をつけます。
でも、高校生をいたぶっている奴の背後から思いっきり殴りつけたら自分の顔を見られないから復讐されずに済む。私は少林寺拳法の二段で、殴ることは練習しまくってきたからこの程度のことは実行可能です。
最終的に手を出さない最大の理由は、法律です。
私は弁護士のような法律の知識がない。だから、こうした案件で少年を暴行している男を後ろから思いっきり殴りつけて怪我を負わせた場合、法的に罪になるのかどうか分からない。父親として、経営者として、そんなリスクは負えない。
結局、庶民に理解のできない法律をいっぱい作ると
「何もしないヤツが賢い」
という社会しか出来上がらない。
それどころか、規則を優先して人の命がないがしろになっている。先日、三岐鉄道の桑名駅で発車を待っていたら足取りの覚束ない老人が電車に入ってきた。私が見ていると着席するなりズルズルと倒れこむように横になった。
私はマズイと思いつつ注視していたら運転士が老人に近寄っていった。私は安心して声かけをするとばかり思った。すると、何と
「ここで横になられたら他の乗客が迷惑です!」
と怒鳴りつけた。私はあまりの出来事に呆然とした。
その車両にはわずか3名しか乗客はいず、誰も迷惑など受けていなかった。この運転士は乗客が死のうが生きようがどうでもよくて、ただ規則を守られることが業務内容なのだった。
私たちは法律という枠組みを作って先進国を標榜しているようだが、専門家という他人に頼らないと納税も、離婚も、詐欺被害の処理も、遺産相続の問題も何一つ自分で決められない。プライベートなことなのに全て他人にお金を払って処理するシステムになっている。
人間の在り方として「何もしない」「全て法律任せ」が賢いやり方。人が現実に苦しんでいても「ルール厳守」が最優先事項である。
これが、先進国の在り方なら間違っていると思う。