髪黒染め強要訴訟、2審も校則や指導の違法性認めず 大阪高裁
昨日、上記のような判決が出されました。まず、私の母校の名古屋大学の先生の見解を引用させてもらいます。
内田良
名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授
学校は「治外法権」でよいとの判決。頭のてっぺんからつま先まで、さらには持ち物に至るまで、細かく決められ、厳しく指導される。これでよいのだ、と。
この訴訟(2017年に提訴)をきっかけに、校則問題に一気に火がつき、いまでは毎日のように報道があり、時代が変わりつつあります。そのなかにあって、裁判所は従来からの判例を基本的に踏襲するかたちで、時代錯誤の判決をくだしました。
この判決を受けて、全国の学校は「よかった」と安心するのか、「それなら、私たちで校則を変えていこう」と動いてくれるのか。後者に期待したいところであり、だからこそ私たちは声をあげて世論を盛り上げながら学校の空気を変えていかねばと思います。
(なお「33万円の賠償」については、不登校後の学校の対応について賠償が認められたもので、校則にもとづく指導に関する賠償ではありません。)
私の指導させてもらっていたユタ州のローガン中学校には、茶色、金髪、赤毛、黒毛など様々な髪色の子がいました。パーマをかけている子もいたし(天然パーマと区別がつきませんが)化粧している子もいたし、それが風紀を乱しているなんて全くなかった。
ところが、日本は21世紀になっても髪の毛は黒でなければならないらしい。生まれつき茶色の髪の子は強制的に黒色に染めなければならない。その校則を裁判所が“正しい”とお墨付きを与えてしまった。信じられない!
教育資料庫によると「生徒は生まれつき髪の毛の色が茶色っぽかった。生徒は中学校時代にも髪染めを強要されていたこともあり、保護者は学校に対して配慮を求めていた。しかし教師らは生徒に対して、髪の毛を黒く染めるよう繰り返し強要した。入学後は1~2週間ごとに指導し、その後頻度が4日前後になった。
生徒は髪の毛を黒く染めたものの、繰り返しの髪染めにより、染髪料が合わずに頭髪や頭皮が傷むなどの健康被害が出た。また教師の指導の際に、過呼吸で倒れたこともあった。教諭らは生徒に対して、「母子家庭だから茶髪にしているのか」と差別的とも受け取れる暴言を吐いたとも指摘されている。
2年生だった2016年9月には、「髪の毛の色が黒に染まっていない」として、教師から授業や行事への参加を禁じられた。生徒はそれ以降登校できなくなり、修学旅行や文化祭にも参加できなかった。
裁判官は、この現状を肯定する判決を下してしまった。多くの保護者の方は、自分の恩師との良い思い出を抱えて
「それは生徒のためを思って」
と言われる。しかし、昭和の時代と、令和の時代は明らかに違っている。教師の質も変わり、1クラスに1人くらいは外国人の生徒もいる。ALT(外国人の英語補助教師)もいる。そのような人たちにも黒髪に染めろと強要するのだろうか。
日々、中学生や高校生と接している塾講師は今の学校が明らかにおかしいことを生徒の口から知らされる。でも、調査書をもとに恫喝してくる教師には逆らえないのだ。前にも書かせてもらいましたが、以下の3点は早急に改善する必要がある。
1,ブラック校則は全廃。何がブラック校則か議論する時に、生徒を参加させる。
2,クラブ活動は強制排除。自由参加とする。素人の教師が指導するのは危険だ。
3,クラス単位の指導はイジメの温床。大学方式で授業毎に生徒が移動すればよい。
日本からGAFAが生まれないのは当たり前なのだ。
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全てがアメリカ企業であるのは偶然だろうか?
私にはそう思えない。理由はいろいろあるだろうが、一番大きいのは「教育」、もっと言えば「学校」であることは明白だと思う。同調圧力が髪の毛から下着の色にまで及ぶ。こんな異常な教育を受けたら「他人と違うことをやってみよう」と思えるはずがない。
学校の教師は才能の芽をつぶしまくっている自覚がない。あるいは、自分より才能のある生徒が憎くて芽を摘んでいるのかもしれない。先日アメリカ国籍の日本人、真鍋淑郎 さんがノーベル賞を受賞しました。以下に彼の話した内容を原文のまま引用させてもらいます。
That’s interesting question, but in Japan people always worry about not to disturb each other. You know, they have a very harmonious relationship. And this is one of the important reasons why Japanese people get along so well with each other.
You know, they keep thinking other people, don’t do something which disturb other people. In the U.S., in Japan, if you ask some questions you get answer “Yes”, or “No”. When Japanese say “Yes”, it does not necessarily mean “Yes”, it could be “No”. Because they don’t want to hurt other people’s feeling much more than anything else. And so, you don’t want to do anything which is disturbing to other people.
And U.S. I can do things that I want like. I don’t worry too much about what other people feel. Because as a matter of fact, I don’t want to hurt other people’s feeling, but I’m not observing enough other people to figure out what they think. I found living in the U.S is wonderful!
And probably research scientists like me, I can do whatever I please in my research.
My boss was generous enough to let me do anything I want to do. And he, as a matter of fact, he got all computer expenditure.
I never wrote single research proposal in my life. So I got all computer I want to use, and do whatever I pleases. So that is one reason why I don’t want to go back to Japan, because I’m not capable of living harmoniously.