「第二回『鬼滅の刃』キャラクター人気投票」で12位の甘露寺蜜璃(かんろじみつり)ちゃん
彼女は隊服のせいか、とにかく胸ばかりが注目されている印象を受ける
「甘露寺蜜璃 (かんろじみつり)のおっぱい画像ランキング」というランキングができるくらい
#要望があったから作成したまで
#オープンステマ
しかし、本当に注目すべきはミニスカートとニーソックスの間の”絶対領域”である!
という話をマジメにする
『鬼滅の刃』の舞台は、大正時代(1912年7月30日~1926年12月25日)である
日本で乳を隠すべきという社会通念が広まったのは、第2次世界大戦後の1940年代後半からだと言われている
1901年の「腰巻き事件(※)」からもわかる通り、そもそも隠すべきは下半身とされていた
#『 女性裸体像 』という絵画を出品した黒田清輝さん
#警察から「下劣な画はまかりならぬ」と言われ、
#腰の部分を布で覆って展示させられた
胸の露出うんぬん言うのは、「鬼滅の刃」の舞台の後の話である
胸は注目ポイントになりえない
では、彼女の隊服を構成するミニスカートとニーソックスに目をむけてみる
まずは、ミニスカート
日本で初めてスカートをはいたのは、津田梅子さん、山川捨松さん、吉益亮子さん、上田貞子さん、長居繁子さんら
明治時代に使節でアメリカに留学にいくときに身に着けたのが最初だと言われている
とはいえ、このときのスカートは丈が長い
実際にミニスカートを日本人が履き出したのは、1960年代後半~
きっかけは以下のような世界的な動き
・フランスのファッションデザイナーであるアンドレ・クレージュさんがパリコレでミニスカートを発表(1965年)
・イギリスのファッションデザイナーであるマリー・クヮントさんがミニスカートで来日(1966年)
このときのミニスカートは、以下のような観点で「女性解放の象徴」とされていた
・服は行動が重視されなくてはいけない
・服装で男女平等を実現しなくてはいけない
・あるがままの肉体を見せなくてはいけない(見せてよい)
時代背景を踏まえて服装を読み解くと、
蜜璃ちゃんの胸に注目している場合ではないことが
なんとなくご理解いただけたかと思う
#大正時代にミニスカートという
#ファッションの最先端をいく蜜璃ちゃん