皆さんこんばんは。
タイトルから何をバカな事言っているんだ?
と思われたかもしれません。
今日も絶好調マルコです。
皆さんは会社(ここでいう会社とは株式会社だけでなく様々な形態を含む)って何のためにあると思いますか?
これって国によって結構違いがあるようです。
日本では、従業員やお客様の為、アメリカでは株主の為、と様々です。
マルコにとって会社のレゾンテートル(存在意義)とは、社会的な何らかの課題を解決することにあると思います。
最近では『ソーシャルビジネス』という言葉はさほど珍しいものではなくなりましたが、穿った言い方をすれば、わざわざソーシャルなんて言葉をつけるのは可笑しいといえます。
そもそもビジネスとは課題解決するための行為だからです。
まあ言葉尻をとらえて批判しても意味がないのでここまでとしておきますが、会社の存在理由が社会の課題を解決することであるのなら、長く存続することは、怠惰とさえ言えます。
批判しないでくださいね。マルコも言い過ぎだとは思ってます。
ただ間違いなく批判できるケースがあります。
ある課題を解決するために作った会社が、そのニーズが社会から消えた後新しいニーズをなかなか見つけることができず、いろんな業種に手を出したり、本業をおろそかにして投資に走ったり、目的と手段があべこべになっている会社があります。
大抵の場合、このような状態に陥ると、会社は終焉に向かって転がり落ちていきます。
しかも質の悪いことにゾンビのように死んでいるのに仕方なく生き続けるという目も当てられない状態になることが多いです。
働いている人たちも、生気を失っていきます。
当然そのような空気なので生産性は低く、社内だけでなく家庭でも悪い影響を与えてしまいます。
このような会社は、本来の存在理由を失い、会社を存続することそれ自体が目的になっています。
昔からこのような会社の在り方に疑問を持っていました。
会社は課題に合った人材を採用します。しかし、課題を解決した、もしくはその課題を解決する競合の存在が理由で、その会社が課題解決をしなくてもいい状態になり、全く違う種類の課題に無理やり取り組んだ場合、抱えている人材は必ずしも力を発揮できるとは限りません。
むしろ、かみ合わないことの方が多いです。
かみ合わせをなんとか良くしようと、経営陣は既存の人材を教育しようと試みますが、そう簡単にアジャストできません。
当然業績は悪化していきます。
そんなんだったら、課題解決したらさっさと解散して(潰して)みんな次の道を探したほうがいいじゃないか、
ずっとそう思っていました。
最近は働き方改革が叫ばれ様々な試みがされています。
その一つの考えとして面白いまとめ記事があったので参考にさせてもらいました。
こちら↓
記事の中で働き方を以下の5つの段階で定義しています。
働き方1.0
年功序列・終身雇用の日本的雇用慣行
働き方2.0
成果主義に基づいたグローバルスタンダード
働き方3.0
プロジェクト単位でスペシャリストが離合集散するシリコンバレー型
働き方4.0
フリーエージェント(ギグエコノミー)
働き方5.0
機械がすべての仕事を行なうユートピア/ディストピア
世界はちょうど3.0→4.0に移行しようとしているらしく、日本が今必死にやっている働き方改革はようやく1.0→2.0の段階だそう。
4.0と5.0は今回は触れないとして、3.0的な働き方、組織形態をとるのがふさわしいんじゃないか、とずっと思っていました。
さっさと課題解決して、報酬を分配して解散、そしてまた新しい課題の為に違うメンバーで集まる。
もちろん会社組織である以上そうは簡単にいかないし、利益をただ分配して終わりよりもある程度蓄積し、次の課題解決に充てるべきだと思うが、労働者(人材)に関しては新しい課題に相性のいい人材以外は入れ替えれるようにすべきだと思う。
日本でそれをやろうとすると法律が邪魔をするので話はそんなに単純ではないけれど、法律の緩和をはじめ、労働者側の意識も変わっていくべきだなと思う。
どちらかというと人を雇う可能性のある立場なので、その立場から考えると、現行の法律の下では、雇用なんて恐ろしくてできないです。
法律でも、労働者の意識的にでも、入れ替えがもう少しスムーズにできるようにならなければこの変化の激しい時代にはゾンビを大量生産する羽目になるので怖くて雇えない。
とはいえ、日本の法律がそう簡単に変わるとは思えないので、現状では雇用という形態をとらずにフリーエージェント制のチームを作るしかないと思う。
あれ?これって働き方4.0では?w
保守的な日本の法律が特異点的に2.0と3.0を飛び越えて働き方4.0を実現してしまうかもしれない、と思えてきた。