どもども、みっとんです
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勉強したくねぇなぁと思うことって結構ありますよね(ありましたよね?)
ですがゲームは楽しくてどんどんしたくなります
この差って何なのか考えたりggってみたりしたものをまとめようとしたものです
教育カテゴリなんてこのくらいしか書けないだろいい加減にしろ!!!
ゲームは、基本的に目標をクリアするために試行錯誤を繰り返すものです
例えばMMORPGのスコアなど、ほとんど価値のない電子上の情報を1増やすために努力をします
その過程で武器のスペックを覚えたり、ジョブのスペックを調べたり覚えたりします
学校で行う勉強は、テストの点数という目標をクリアするために努力をするものです
学校の評価という、当人の実際の評価とはかけ離れたものを1増やすために努力をします
その過程で数学の公式を1つ覚え、英単語を1つ覚えたりします
また、両方とも反復練習が多いというのも似ているところです
ひたすら銃弾を避け続けたり、ひたすら数学の問題を解いたりといった感じです
両方ともほとんど価値のない点数を1伸ばすために努力をし、何かを覚え、何かを何度も繰り返すものです
まあ、これだけとも言いませんし、違うという方の意見をつぶす気もありませんが、以上のことから私はゲームと学校で行う勉強は本質的には同じものだと思っています
さて、上の項で書いた通りゲームと学校で行う勉強が同じものであるとして、一方は人を多く惹きつけ、一方は人から忌避されるというのはおかしな話です
少なくとも何かが違わなければこの差は存在しません
何が違うのかを考えた結果、私は以下のものが違うと考えました
・クリアした際の達成感や演出の有無
・人から強制されるかどうか
・差が生まれやすいかどうか
ゲームにおける目標をクリアする、例えばはボス戦が終了したときのことを考えてみましょう
派手な「congratulation!」の文字とSE、BGMが流れいくつもの報酬(アイテムドロップなど)がもらえ、達成感を感じるように煽ります
しかし、学校で行う勉強の目標をクリアしたところで大した報酬はありません
せいぜい元の成績が悪ければ「おお、頑張ったやん」程度です
特に報酬があるわけでもありません
1つ数字が上がった程度では特に達成感もありません
これらの差がゲームの楽しさを作り出していると考えます
不愉快な話ですが、世間一般には大学卒業しないと人ではないというような風潮があります
だから、親や周囲の人間は「ゲームなどせずに勉強しろ」と怒ります
例としては香川県のゲーム条例などが良い例ではないかと思います
逆にゲームだけして勉強なんてするなという親の話は聞いたことがありません
強制されればやる気もなくなりますし、このボタン押すなよと同じような話でゲームをやりたくなると考えます
この差がゲームが人を惹きつける力を作り出していると考えます
ゲームでテストにおける100点相当のスコアを出すのと、テストで100点を出すのではどちらが簡単でしょうか?
人によって、またジャンルによって回答に差ができるとは思いますが私は圧倒的にゲームで100点を取る方が簡単だと考えます
ゲームでは基本的に、マップや敵の配置・行動などは変わりません
反復練習を行う範囲が小さい=比較的少ない労力でマスターできるということになります
しかしテストでは、傾向が変わり、難易度が変わり、問題も変わり、なんなら添削する先生すら変わります
このような不確定要素の多いものは反復練習を行う範囲が広がってしまい、結果的にかなりの労力がマスターするまでにかかることになります
人は基本的に労力が少ない方が簡単に感じる傾向が強いと考えるので、ゲームの方が簡単になります
また、結果的により早く始めた人との差が大きくなりやすいのが学校で行う勉強です
多少一瞬だけ努力した程度ではテストの順位は変わりませんし、長期的な努力が必要です
これらの差が勉強に忌避感を植え付ける原因になっていると考えます
以上3つのことを踏まえ、今まで書いてきたことの逆をすれば多少の改善は見込めると考えます
ざっくりまとめると学校で行う勉強には
・クリアした際の達成感や演出が不足している
・人から強制される
・始めたタイミングによって大きな差が生まれやすい
という問題点があることになります
これを補うのであれば
・クリアした(=点数が上がったら)何かしらの演出を行う
・過度な強制を行わない
・幼少期から少しずつ勉強をさせる
などがあげられます
例えば中間・期末テストのたびに「過去の順位」×「前回から上がった点数1点」ポイント貯まって、1ポイント10円分何か買ってあげるというようなシステムにすることや、テストが終わればケーキを買ってみたりというのも良いと思います
少なくとも、これで一切何の報酬がないときにくらべて報酬が増えているため、比較的勉強に身が入るのではないでしょうか?
あまりにもしないときは怒っても良いと思いますが、1日1回必ず「今日勉強したの?」とか「宿題終わったの?」といったことをいうのはやめておいた方が良いと思います
少なくとも私の周囲にいてそういわれ続けていた人はあまり成績が良くありませんでした
逆に、勉強していたら誉めてあげることや質問に応じるなどの行動をとればおのずと自分から勉強をするようになるのではないでしょうか?
ただ勉強中に声をかけると集中力が消える人もいるのでほどほどに。私は完全に消えるので割とイラつきます
あと成績が振るわないからといって無理やり塾に通わせるのとかは論外だと思います
私はそもそも学校に行く意味をあまり感じないので、なるべく行きな、どうしても行きたくないなら休みなくらいの温度感で良いと思いますが、これは個人・家庭によって差があると思うので家庭ごとに考える方が良いと思います
直前の項と競合するような気もしますが、やはり学校の勉強風情であればある程度は時間をつぎ込めば解決できる部分も多いと思います
だからくもんなどの幼少期から通える塾のようなものを探して、行かせてみるなどをするのも良いと思います
こちらもまあ、行きたくないなら行かなくてもいいよーくらいで良いと思います
どうせ小中高と勉強する機会はたくさんあるので
ほぼ完全な蛇足部分です
「勉強」とは本来、自らをさらに上位の自分にするために行うものであり、正直学校の勉強はほとんどそれに当てはまっていないと思います
数学が苦手な人に無理やり三角関数を教えても今後一生使う機会がないどころか苦手意識のみを植え付け、「三角関数...ウッアタマガ」となるだけです
それどころか数学全体に苦手意識が植え付けられ数学アレルギーのようになる人もいます
これは他の教科にもいえることであり、それによって完全に才能をつぶしています
人には本来ある程度の知的好奇心が備わっているため、勝手に放っておけば自分の好きなことを自分の気が済むまで学んでいます
ゲームの武器のスペックに詳しいとか、ラノベの設定に無駄に詳しいとかがこれに当てはまります
しかし、苦手意識が植え付けられてしまうと「数学は苦手だから無理だ」みたいな感じに勝手に限界を設定して勝手に自らを落としていきます
こういったものが増えると「俺、勉強苦手だから」になっていき、勉強そのものができなくなっていきます
こういった意味でも勉強を強制するのはよくないと思います
といったところで、今回は「なぜゲームは楽しいのに勉強は楽しくないのか」といった内容を書いていきました
現在の教育システムなら、勉強ができるかどうかの大きな部分は「家庭」にあると考えますしこれから少しでも勉強のできる子どもが育ってほしいと思いこの記事を書きました
ここまで読んでいただきありがとうございました!
実は蛇足部分には削除された文章があります
教育関係は気が付いたら政治ネタに片足突っ込んでるのが悪いところだと思います
みっとんの過去記事はこちら
すみません乞食させてください