タイトルで書いた件だが、私は”株式会社は人類の幸福の総量を増やすために存在する”と思っている。その理由と現在の課題、未来の形を以下にまとめる。
現在の株式会社のルーツ
人類史上で最初にできた株式会社である東インド会社の説明はここでは割愛する。
私の主張ではまず、15世紀の頃イギリスで始まったマニュファクチュアに着目したい。
マニュファクチュアとは分業のことだ。イギリスで当時盛んだった毛織業を複数の人間で分担して、一人あたりの作業を単純作業化し始めたのがきっかけだ。
一人の人間が複数の工程を請け負うより一つの作業を繰り返すほうが熟練度が向上し生産性があがるとアダム・スミスも言っている。
これは今の株式会社にも通ずるものがある。経理部、総務部、営業部などと言われる部署ごとに担当が分けられている。経理部の人間は営業はしないし、営業部の人間は給与計算などしない。
つまり同じ目的を持った人間が集まっても、一人ひとりが個別で活動するのではなく分業することによって生産性があがるといえる。
みんなであつまってバーベキューをするときに、全員が個別にコンロや網、肉やビールを各自で持ってくるよりも、それぞれの機材や食材を買いだして持ってくる担当を分けたほうが安くすむし、多くの食材を持っていくことができるということだ。
株式会社はなぜ利益を上げる必要があるのか
こういった質問には”資本主義だから”と答える人がたまにいるが、納得できない。
たしかに昔、ミルトンフリードマンという市場原理主義者が”企業の社会的責任とは利益追求だけである”と言っている。
しかし私が違和感を感じているのは利益主義になったことにより過度な広告、マーケティングを行い、企業活動のそもそもの目的が歪んでいることに対してだ。
たとえば健康食品のメーカーはこの手のケースが多い。
本来、健康食品はあたりまえだが人の健康状態を良くするために存在する。健康食品のメーカーの存在意義は人類の健康状態の向上の望むべきであると感じている。
そのため企業活動を通じて生じた利益はさらに効く健康食品の研究開発にあてるべきと感じているが、大半の企業は広告へ資金を使っているように見えてならない。
つまり売ること、利益を出すことが目的になっており企業の存在意義を見失っている。
利益とはツールなのである。企業の存在する目的(大抵は企業理念などで語っている)を果たすためには人手が必要でその人手を集めるためのツールとして利益があったはずである。
株式会社の未来系
これは恐らくdappsやトークンエコノミーの関連に収斂されていくと思う。
特徴としては以下のようなものがある。
・雇用という契約が主体の関係ではなく、興味のある人間だけがあつまるコミュニティ
・財政状況やプロジェクト進捗、コードもすべてオープン。
・教育コストはプロジェクトがある程度はらう。MOOCやチュートリアル、プロジェクトの概観などが資料としてまとめられ、興味のある人間が勝手にキャッチアップし勝手にコミットし始める。
・細かく分解されたイシューを複数のコミッターが解決していくヒューマンコンピュテーションモデル。