いい製品だったら売れるワケではない。
売ろうとした製品が売れる。
金を取ろうとした者が稼げる。
いい製品だったら売れるワケではない、というのは現代の消費者心理を説明しただけで、あってマーケットの理想を説明した言葉ではない。
したがって「現状はいい製品が売れるわけではないが、いい製品が売れる市場を作っていく方が望ましい」と解釈したい。
ビジネスの勝者は自己責任論が好きだ。
資本主義を愛しゼロサムゲームのプレイヤーであり、勝てば官軍、負ければ敗軍と信じてやまない。
昔は企業が稼げば稼ぐほど国家の税収が増えトリクルダウンが円滑になり、貧しい者への再分配が増え国民全体が豊かになると考えられていた時代があった。
しかし、それは幻想であったことはみんな知っている。
代表的な理由として、タックスヘイブン、税金の使いみち、増える内部留保などだ。
私の解釈では答えは否である。
前述の通り資産のトリクルダウンは起きない。
だがしかし、社会の富は確実に増えている。
洗剤、食料品、衣類、電化製品も安価で手に入るようになった。
昔は治らなかった病気を治せる事例も増えた。
電気やガス等エネルギーもほぼ全ての世帯で利用できる。
無料の娯楽や教育、情報にアクセスできる環境もある。
つまり資産の再分配はなされないが、科学・工学の発展により安価に高品質のサービスにアクセスできるようになった。
上記の反論として、これらを製造する人たちの賃金が上がっていないとの主張もある。そしてそれも一理ある。
だが、同一の製造コストでより大量生産が可能になったのも事実である。
昔こんな実験があった。
同一の成分の2つの化粧品で、一方はCMを打って5000円、もう一方はCMを打たずに1000円で販売する。
当然成分が同じなので、どちらを買っても効果は同じである。
しかし圧倒的に多く売れたのはCMを打った5000円の方。
化粧品という製品の特性上、知名度やブランド感も込で購入しているという考え方もできるが、言いたいのは同じものを作っても売り方で売れるかどうかが変わるということだ。
これは無知なユーザーが悪いと言いたいわけではない。消費者の購買心理はそういうものだと割り切る必要があるという事だ。
マーケティングが嫌い。そう、マーケティングが嫌い。
下品で誠実さも感じない心理操作戦争には巻き込まれたくない。
だが、あらゆる経済活動から距離を取るということは自給自足生活を余儀なくされるのだ。
自分で野菜を育て、家畜を飼い、自家電し田舎の空き家で暮らすことになる。
カップラーメンもスマホも車も経済活動の賜物なのだ。
全て自給自足は少々極端だが、徐々に生活コストを極限まで減らす生活にシフトしていきたいと考えるこの頃である。