こんにちは。なかまるです。
また随分と間があいてしまいましたが復帰いたしました。「本当にあった証券会社の話」、第5話です。他のエピソードに関心を持っていただけたら、過去の記事も是非ご覧になってみてください。
↓前回のお話
■殺伐とした社内
前回のお話で、先輩と上司とのやり取り(上司からの嫌がらせ)に記載しました。その他にも争いがあります。私のトレーナーAさんです。
トレーナーとして仕事を教えてくれた記憶は全くないほどに放任主義でしたが、全国トップクラスの営業成績で、年齢もそこそこいっている、管理職一歩手前の人。勤務態度はあまり良くない人で、顧客との電話でも注文してくれないとと思いっきりガチャ切りする人でした。その人が課長に噛みつきます。
いつもどおり、数字の悪い営業員を怒鳴りつけている課長。その横でトレーナーが小声で一言。
「うるせぇなぁ。」
「毎日毎日、怒鳴りやがって。」
課長には聞こえてしまっています。
すると課長は営業員の詰めに飽きたところで、トレーナーに矛先を向けます。
「Aさん!うるせえとか言ってんじゃねえよ!」
「数字未達なのが悪いでしょ!そんなことを言ってるならあんたがカバーしろよ!」
トレーナーは言い返すことはなく、イライラした様子で、デスクを蹴り飛ばします。
そんなこんなで、どこもかしこも争いまみれです。殺伐とした社内で気が狂いそうでした。
■コンプライアンス違反の強要
目標を達成出来なければ人権のない、毎日怒鳴られる生活をしている営業員は、必然的に「どんな手を使ってでも数字を良くする」という行動に出てしまいがちです。
金銭のやり取りを行い、顧客が損失を被る可能性のある商品を扱うため、法律や社内規定で定められた営業ルールがたくさんあります。
例えば、
■「断定的な表現での勧誘禁止」…絶対・必ずとか言ってはいけないということですね。
■「顧客との連絡は会社の電話・携帯を使用しなくてはならない」…個人情報の保護という観点から当然です。それだけでなく、どのような営業をしたのか記録するためにすべての録音を残しています。
上記のようなルールは他業種でもよくある話かと思います。ただ、追い詰められた営業員は、個人の携帯で断定的な表現を使ってでも商品を買わせようとします。
もちろんルール違反であり、見つかれば処分されます。それでも、やっている人は多かったです。しかもそれを管理職が認識していて、何も言わない有様です。
ある日、とある営業員が顧客と電話をしていました。
「この株は今後上がると思いますよ!」
「今後のAI技術の発展を考えると~…」
「今は少し円高が進んだ地合いなので~…」
いろいろと話をした結果、「検討」という形で通話が終わりました。
それを聞いていた課長は
「おい!こっち来い!!」
促され、二人でひそひそと話をします。近くにいた私にはその話がなんとなく聞こえています。
「おまえ注文とれないなら携帯で話をして来い!」
「外でして来い!」
のような話をしていました。
すると、その営業員は自身の携帯電話を持ち出して、外で電話をし始めました。当然、ルール違反です。そしてそれを指示したのは管理職である課長です。
法令にも触れるような指示をされ、それを断らせないようなところは会社として終わっています。
■退職の決意
そんなこんなで仕事を続け、友人からは「目が死んでるよ」とか「最近お前やつれすぎ」とか「今にも自殺しそうだけど、大丈夫?」とか言われるようになっていきました。私自身としては、自覚症状は全くなく、「疲れているけど言い過ぎだろ」くらいに思っていました。そんな時期に、とある出来事がありました。
ある日、業務連絡でH支店の社員が亡くなったという通知が来ました。先輩からは稀にある話だと聞いたので、その時は特に気にしていませんでした。
そして、その半月後に退職者の通知が来ました。退職者は多いのでよくある話なのですが、その時はH支店に配属されていた同期が突然の退職をしたのです。嫌々ながらも続けていた、突然辞めるような同期ではありませんでした。私は気になって、同じ支店で勤務していた別の同期に話を聞きました。
すると、亡くなった社員の死因が「自殺」で、その「第一発見者」になってしまったことで気持ち的に続けられなくなった、とのことでした。
自殺した方も、目標未達に苦しみ、毎日上司から罵倒され続け、体調を崩しながら続けていたそうです。
その方が連休明けの日に出勤せず、同期は上司からの命令で様子を見に行ったところ、亡くなっていたということです。詳細は割愛しますが、ひどい状態だったそうです。
その話を受け、
「精神的に弱い自分がこんなところにいてはいけない」
「自覚がないだけでこのままだと自分は本当に自殺をするのかもしれない」
そう考えました。
それからはすぐに上司に退職を告げました。なぜか役員が出てきて引き留められるまでこじれましたが、無事に退職できました。
その時点で、「軽度鬱」の診断でした。重症にならずに済み、本当に良かったです。
■石の上にも三年(笑)
私が死にそうになりながら仕事を続けていた理由の一つに、
「三年はやらないと何もわからない」「三年は続けろ」「三年続けずに他に行っても通用しない」
などという謎の伝統、「三年縛り」を信用していたことにあります。
現在の私の考えとしては、
「自分が耐えたのだからやれ、という老害の価値観」
「離職率を下げたい馬鹿な会社の戦略」
くらいにしか思っていません。
合わないのなら素直に辞めてよいと思いますし、体調を崩しては元も子もありません。合わないのに続けても得られるものなんてありません。実際に私がこの会社で得た(知った)ことは、「現代にもグレーな業務をしている上場企業が存在していること」くらいです。能力向上なんてありません。
年齢も若いうちに転職してしまえば、通用しないなんてこともなく、丁寧に研修してくれる会社はいくらでもあります。むしろ早めに辞めて、次の能力向上に動いたほうが良いと思います。
私は社会不適合者の典型みたいな性格ですが、ここまで何となく生きてこれています。職がなくなったからといって、なにも問題ありません。
とにかく伝えたいことは、
ということでした。
ここまで、拙い文章ですが最初の就職の体験談・感想を5つの記事にわたって書いてきました。文章が下手なせいで伝わりにくいことも多いかもしれません。それでも読んでくださった方々、ありがとうございました。
次回からはまた趣味の話を書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
では、今回はこのあたりで。