

お題記事「本」
ふわっとしとるなぁ。こいつは困った。
最近プログラミングの本とトレードの本しか読んでないし。
全然本を読めてないなぁ、と思って色々見ていたら、大変なことになっていることに気が付いてしまった。これは非常にマズい、僕のアイデンティティの危機だ。
本を読めていないことは良いのだ、元々本が凄く好きだという人に比べれば言うほど読んでいない。趣味「読書」の域には全然達していない。
問題なのはこれだ。
全然知らないマンガばかりだ………
僕はマンガにかけては相当に読んでいる自信がある、いや、あった。
もやは過去の話だ。
しばらく読めていない間に世の中知らないマンガだらけになっている。
僕は人に対して、これが好きだ!と言えるものがほとんどない。どれも本当に好きな人に比べれば全然知らないしな、と思うことばかりなのだが、マンガに関しては数少ない堂々と好きだと言えるレベルに詳しいジャンルだ・・・だった。
もはや過去の話だ。
原因としては、貧乏道を極めし者になっているので、マンガが買えないということもあるとは思うのだが、今回非常に由々しき事態だと考えいるのは、根本的な原因はそこではないと感じたからである。
おそらくだが、新しい「面白い」に出会うのを疲れると感じるようになってしまっている。もう既に知っている「面白い」を反芻している方が楽なのだ。
新しいガムを噛み始めるのが疲れるのだ、いま噛んでいる味の無いガムで良いじゃない、暫く噛まずに口に含んでおいて、それからまた噛むと味復活するし、それで良いじゃない、となっているのだ。
これは完全に老化だ。こんなことでは脳も感性も枯れてしまう。
さらに言えば、新しいものを追いかけるということも疲れると感じているのだ。
それこそ昔は、どんどん新刊が出て欲しい、まだ出ないのか、早く出ろ早く出ろ、と思っていたのが。今は、もうこんなに出てるのかよ、次から次に出て、まったく、読み切れんわ、と思っているのだ。
年を取ると古い物を愛好しだすのはそういうことかもしれない。
例えば、城が好き、という趣味だった場合、新しい城がこれから次々に建設されるということは、まあ無いと考えて良いだろう。今あるもので全てだ、安心してゆっくり1つずつ楽しんでいけば良いのだ。
本だってそうだ、中島敦も太宰治も、もう新刊を出すことは無い。彼らを好きであれば次々出る新刊に付いていく必要は無いのだ。
いやダメだ。
そもそもこの付いていくという感覚が老化だ。
昔は付いていくなんて思っていなかった、むしろ自分が先に行って待っていた、早くしろと言う勢いだった。いつから新しい物に付いていくなんて感覚になったんだ。
これ自分が大好きなマンガや本でこうなのだ。
最初から興味がないことに関してどうなっているのか考えるのも恐ろしい。










