独立行政法人経済産業研究所(RIETI)の研究員である橋本氏による「なぜ日本人労働者は企業に従順なのか?-ハーシュマン・モデルによる表層的な協調関係の分析」というウェビナー(ウェブセミナー)が先日あり、その内容がYoutubeにアップされていました。
ウェビナー後の質疑応答もありました。個人的にはこのQ&Aのほうが興味深い。
ここでいうハーシュマン・モデルというのは1970年のハーシュマンの著書「離脱・発言・忠誠」のことですね。この本は国家論から経済学・政治学に枝を伸ばし、企業経営や組織運営に対しての提言がされている社会科学の古典です。
日本の企業の特徴とよくいわれる労使協調、つまり、従業者は使用者(企業)に従順であり、労使交渉等の声を上げることはしない、という典型的日本人正社員の姿というのは、実は正社員労働市場への参入コストと離脱コストが高いことによる「表層的な協調関係」であり、職務の価値が正しく評価されていないからだった、という論説がされています。なかなか痛快です。
コロナショックにより、リスクに直面する「生活維持に不可欠な仕事に携わる者(エッセンシャルワーカー)」の重要性がこれまで以上に強く認識されました。医療労働者をはじめ、介護福祉、公共交通機関の運行、スーパーマーケットやコンビニも、リスクに直面するエッセンシャルワーカーなしでは社会は成り立たないということ、そして、往々にしてそのようなエッセンシャルワーカーは非正規労働者であることが浮き彫りになり、非正規労働者なくして日本の社会は成立しないということがはっきりしたわけです。
すると、コロナショックが契機となって、これまでの「企業」と「職務」というものの結びつき方(価値の基準)が変わり、正規雇用中心主義から雇用形態を超えた処遇に移行する契機となりうるのではないか、と今回のウェビナーから考察しました。
「雇用形態を超えた処遇」というのはつまり、「職務の価値」「スキルの重要性」ということに他なりません。従業者の「忠誠心」は、企業にあるのではなく職務にある、とウェビナーでは述べられています。
「ライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器だ」という、どこかで聞いたようなセリフもありましたが、自分のスキルや、そこから得られる労働に忠誠を示し、使用者(企業等)に対する忠誠心で働くのではない、ということですね。
コロナショックに起因して、このような「職務の価値」に重点を置く価値観が高まれば、まず女性の活躍機会が高まることが考えられますし、従業員個人の能力や成果に応じた個別の労務管理が進むことが期待されます。
一つの企業に終身雇用を期待するような働き方から、日本の多くの労働者が脱却する日も近いのでしょうか。
端的には、昔から言われているように、「手に職」を持つことが大事だということかな、と考えました。(手に職、ってのは技能という意味だけではなく、ライセンスやノウハウも含まれます)
では、今日はこのへんで。