最近チームワークが多く、成長する人としない人の差を意識する事が多くなった。そんな中でアンチパターンとも言えるものが見えてきたので、備忘的に書いておこうと思う。
今読んでいる安宅和人著「イシューからはじめよ」にも書かれているが、この点に尽きる。同書での位置づけは解くべき課題(イシュー度の高い課題)の見極めがうまい人は成長が早いとしているが、非常に奥行きの深い言葉であると感じる。同書は、ほぼすべてのページをそのための方法に注いでいる。
特に、解くべき課題を取り巻く周囲の状況に対する正確な認知こそが重要なのである。課題に対するアプローチがまずい人は、周囲の状況に対する認知が大きく歪んでいる場合が多い。間違った、あるいは不足している前提に基づいて判断しているのであるから、当たり前である。
最近読んだこちらの記事「スタートアップに向いてる人の特徴」にも書かれているが、知的生産性の高い人は圧倒的に自責思考である。それは起きてしまった悪い事態の原因を何でもかんでも自分の責任に帰し、ひたすら自分を責めるようなネガティブな人(※1)という意味ではなく、起きてしまった悪い事態の解決を図るのは自分である、という責任感と自信を伴った人間の事である。
起きてしまった悪い事態の解決を他者に依存する人間は、基本的には思考停止を図るため、正しく周囲の状況を観察・分析しない。正しい認知ができていないにも関わらず原因を結論づけたりするので、見当違いの方向に原因を求め、あろうことか他人や他の組織を憎んだり、喧嘩を始めたりする。
私はあまたの「する必要のない喧嘩」を目撃してきたが、そのほとんどが「正しい認知を欠いている」ため起きている事ばかりであると感じている。しかも多くの場合において、正しい認知ができていない原因は高度な専門的な知識の不足などではなく、相手の立場を知らなかったり、想像できていないという、相手(というよりも自分を取り巻く世界の外側)への無関心に起因する。
プロジェクト計画書すら読んでいないメンバーがPMを批判したり、相対する部署の立場やねらいを確認する前に議論が擦りあわないと批判したり、技術者がビジネスサイドを技術を知らないと罵り、ビジネスサイドが技術者をビジネスを知らないと罵る…。こうした状況はあらゆる組織で見られることだろう。
※1 意外と、自分を責めるタイプの人ほど心の奥底では他責思考である。なぜならすべての原因を自分に帰するという事はすなわち周囲の状況の観察・分析の放棄であり、自分を含む関係者全員に対する無関心の産物であるからだ。
私は去年1年間ほど短期でシリコンバレーに駐在しており、多くのスタートアップ関係者に出会ったが、ほぼ全員が自責思考であり、他者に対する関心と問題解決意識が異常に高いと感じた。自分を取り巻く周囲の環境への強い関心が、ひいては自分の仕事の達成に強く還元される事を、本能で把握しているようだった。
例えば、短期のPOC案件で組ませていただいたスタートアップのCEOは、事業開発初心者の私にマーケティングの手ほどきまでしてくれたし、常に目線を合わせて話をしてくれた。大して出資もできていないし、大して社内での影響力も無さそうな一兵卒の私になぜここまで親身になってくれるのか。それはビジネス上の打算ももちろんあっただろうが、それ以上にスタートアップ経営者に共通する「他者貢献意識」(何なら、世界とか宇宙に対する貢献意識)みたいなカルチャーを確かに感じた。
そして、シリコンバレーの人々は本当にランチミーティングなどで「社外の人と会う」経験を重視する。自分を取り巻く世界の外側にアクセスし、それを自らの世界に取り込んでいく事が重要であると、やはり本能的に理解しているのだ。前述の「イシューからはじめよ」においても「外部の相談役を持つ」ことを強く推奨しており、高度な知的生産に関わる上で重要なファクターだ。
また、「シリコンバレーのエンジニアは営業もする」というのもあながち間違いでないと感じる。そもそも所帯が小さいというのもあるが、もっと別なところにそのカルチャーの根源があると感じる。それは、スタートアップにて求められるエンジニアリングは決められた仕様に則った実装を単純にこなすのではなく、むしろ実装にこそビジネスのコアバリューが宿るものであり、自社事業の課題に対する当事者意識が伴って始めて適切な技術選定や機能配置・拡張性や抽象度を決定できるという事だ(DDDなどはこうした要求に基づいて生まれたはず)。
こうした意思決定を高度な次元で行うためには、自らの責任範囲にビジネスサイドの目線を取り込み、コーディングを自己目的化する(低い目線)ことなく、事業の課題解決を目的に据える(高い目線)。解決すべき課題に目を向ければ自然と顧客と対話したくなるものであり、だから「シリコンバレーのエンジニアは営業もする」のだ。その上で、自らのコアバリューである技術力を最大の武器としてコミットする。
日本のWebエンジニア業界では「技術的ゾンビ(コード書いたり新しい技術に触れれば満足な人たち)」などという言葉が流行ったりしているが、そうした姿勢の対極である。「技術的ゾンビ」たちは、事業ドメインとレガシーなオペレーションに自らの責任範囲を閉じたSIer(※2)を批判する傾向があるが、周囲の環境への無関心という意味では同類である。これも、「する必要のない喧嘩」である。
※2 SIerがすべて「事業ドメインとレガシーなオペレーションに自らの責任範囲を閉じている」と言っているのではなく、SIerの中でも「事業ドメインとレガシーなオペレーションに自らの責任範囲を閉じている」タイプの人、について言及している。
ここまで書いておいてなんだが、この記事で定義する「成長しない人」あるいは「他責傾向の人」を責める気もないし、変革を迫る気も毛頭ない。そもそも「成長する/しない」「自責/他責」も二値ではなくグラデーションであり、事業形態や職種や役職によって求められるレベル感もそれぞれだからである。当然ながら、全員がシリコンバレーのスタートアップのCXOにはなれないし、なる必要もない。
自らへの戒めとして気づきを記しつつ、できればもう少しだけ人々が自分の外側へと想像力を働かせ、「する必要のない喧嘩」が減るよう祈るばかりである。