調べものに飽きました。
で、先日「みんなのいえ」という映画を観ました。
三谷幸喜監督の映画です。ユーモラスな映画。
主人公夫婦が家を建てるのです。
設計を今どきの若者に、工事をお年寄りの職人に頼む事から「いさかい」がおき始めます。
設計と工事の話が合わない。
昔気質の職人と、設計やデザインにこだわる現代風のデザイナーとの衝突です。
途中、設計が言った言葉が「僕の仕事は妥協。この家は妥協でできている」そんな言葉です。
この映画自体は最終的にはハッピーエンド。
私が「主人公夫婦」といったのが「嘘じゃないか?」という感じで終わります。
今、スティーブジョブズという映画を観ています。
言わずと知れたアップル社の創業者。途中で主人公スティーブさんが言った言葉が次のもの。
「妥協なく」
さて、タイトルに戻ります。
「妥協ではなくジンテーゼ」
ジンテーゼというのはヘーゲルの弁証法における最終段階です。
命題があり、それに対する反論があり、それらを包括する概念へ発展させると私は理解しています。
この理解からすると、ロジックツリーでいう枝葉の部分をすべて包括する幹を定義づけするのがジンテーゼと言えそうです。
ある日本のメーカー営業が、高度経済成長期、外国で残した逸話にこんなものがあります。
「うちのものは最高です。是非買ってください」
確かに物が良い。買い手は答えます。
「いいですよ、○○ドルで△△個注文します」
実はこの時、△△個というのは生産体制を大幅に変更しなくてはいけない数量だったのです。
店に在庫が10個しかないものを、1000個注文されたようなものです。
どうします?
その時の営業が答えたのが次の通り
「□□個までなら○○ドルでOKです。それを超える分に関しては○○ドルでは提供できません」
「ほう、それはなぜ?大量注文すると安くなるのは道理ではないですか?」
「現状の社内生産体制・在庫管理体制では□□個の提供が限度です。△△個もの大量発注となると、社内設備を刷新しなくてはいけません。そうなると今後も同じだけの受注がないと採算を取れない。受注が取れるかどうかは分かりませんから」
この営業マンは素直に話し、理屈を説明し、「□□個、○○ドル」の注文を獲得したそうです。
ここで言いたいのは、
・正直に話す
・理屈で話す
という事では、もちろん、ありません。
固定費のかかる戦略をとると損益分岐点が上がるから単価が高くなるとか、そういう話でも、もちろん、ありません。
お互いにとっての歩み寄りでも妥協点でもない、第三の道、お互いにとっての正解を作り出す必要があるのだなぁ、という事です。
ロジックツリーを具体と抽象という観点で見ます。
一件整理されたように見えるロジックツリーは、実は、物事が進展するにつれて、枝葉が増えることが多いです。
それはロジックツリーの破綻、MECEの破綻を意味します。
その、破綻しそうなロジックツリーを再構築する行為が、ここでいうジンテーゼです。
ニュートンさんは素晴らしいロジックツリーを作り出しました。しかし観測技術の進歩によって、とても大きなものやとても小さなものに合わないものが出てきてしまった。そこでアインシュタインさんが少しだけロジックツリーを書き換えた。
この、「少しだけ書き換える」という行為は作業量でその成果の大きさを測れるものではありません。その幹が包括する枝葉を、新しく発見されたものはもちろん、既存のものを含めてキレイに整合を取ったことに意味があります。
200円で売りたい人と100円で買いたい人が妥協すると150円での取引になります。事情によってはもっと違う契約になるかもしれません。
これを書いている間に、映画「スティーブ・ジョブズ」ではスティーブさんがピンチに陥りました。
電気屋にOSを売り込んだら「俺が注文したのはコンピューターだ、基盤じゃない」こう言われたんです。
スティーブさんは妥協ではなくお互いの正解を見つけたようです。
ではでは
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