日本社会では、株式会社にてフルタイム労働している人間を「社員」と呼ぶことがあります。例えば「ソニー社員」「NTT社員」「サイバーエージェント社員」といった言葉はよく耳にします。しかし、この「社員」という肩書は、あくまで世俗的通称あるいはマスコミ用語にすぎません。
一般的に誤解されていますが、日本の法制度上の定義では、株式会社の社員とは、株主(stockholder)のことです。「ソニー株式会社の社員」とは「ソニー株式会社の株式を保有している人間」のことであり、決してソニーに勤務する労働者のことではありません。株式会社で働いている人間を「社員」と呼ぶのは明白な誤りであり、日本社会に蔓延している<言葉の誤用>の1つです。
そもそも社員(member of company)とは、文字通り「組織の仲間」を意味する言葉です。組織をともに支え運営していく仲間です。そして、株式会社という組織を構成し、株式会社を共に支える仲間とは、株主たちです。その株主たちが自らの代わりに会社運営をしてくれる役員(officer)を選び出す。その役員たちが「経営者」として会社を日々動かしていく。それが株式会社です。
株式会社は、利益を生む事業、会社を成長させる事業を遂行しないといけません。そのために必要な材料を購入していく。主なものとしては、土地、オフィス、機械、原材料、労働力などが挙げられます。
この労働力(labor force)を提供する人間を従業員(employee)といいます。従業員は、会社と雇用契約を交わし、会社の指揮命令下に入り、賃金という対価と引き換えに、労働力を提供していくわけです。すなわち、日本社会で俗に言われているところの「社員」とは、正確には「従業員」と呼ばれるべき存在です。そして、その従業員とは、会社の事業活動に必要な材料の一部にすぎないのです。
例えば、あなたが趣味で草野球チームを作り、近所の友人たちに声をかけて、自分自身を入れて9人のプレイヤーを揃えたとします。そのチームを支えるメンバーは、もちろんその9人です。9人の選手がチームを支え、チームを勝利に導くために活動するわけです。一方、草野球をするには、バットやシューズが必要です。しかし、そのバットやシューズを「仲間」とは言いません。単なる道具です。破れたり壊れたりすれば新しいものに買い換えるだけの存在です。そして、株式会社における従業員とは、そのバットやシューズのようなものです。株主や経営者といったプレイヤーたちが「ビジネス」というゲームで活動するために使う材料にすぎません。
ところが、日本では、そのような材料に過ぎない従業員を「社員」と呼ぶ慣行が続いています。「キミたちは会社というチームのメンバーである」「俺たち社員は、社長を中心にして会社を支えていく仲間同士だ」といった空気さえ生み出されます。会社と従業員は運命共同体(common destiny)であり、互いに利害の一致する関係にあると──。
しかし、それは明らかに間違っています。労働市場(labor market)において、会社側は「少しでも安く労働力を買いたい」と考えます。一方で、労働者側は「少しでも高く労働力を売りたい」と考えます。その対立する意思が合意に達すれば、両者は雇用関係を結ぶわけです。契約を結んだ後も、労働者は賃金アップを求めます。一方で、会社側は賃金アップをできるだけ押さえ込もうとします。
要するに、会社と労働者とは「労働力を買う者vs労働力を売る者」という利害対立関係にあります。仲間でもなければ、運命共同体でもありません。労働市場の本質から見れば、その真逆の敵対関係です。
ところが、日本の職場では、「社員」という言葉に象徴されるように、この利害対立関係が隠蔽され、粉飾された仲間意識と共同体意識が蔓延しています。その結果、会社は、従業員に対して、雇用契約の内容を超えた違法な労働奉仕を無遠慮に要求するようになります。従業員側も、あたかも株主や経営者の目線で労働するようになります。その結果、労働者の人権を自主的に放棄していくわけです。日本が世界に誇るビジネス文化である「サービス残業」「過労死」「社畜」といった現象は、こうした利害対立関係の隠蔽の下に続いています。
あなたが会社に入ると、上司から「おまえはウチの社員なんだから、会社全体の利益を考えて行動しろ」「会社全体のために何ができるかを考えろ」といったことを要求されるかもしれません。しかし、そのような要求を従業員に課することは、株式会社の制度上、明らかに間違っています。
株式会社において、会社全体の利益を考えて行動する法的義務を負っているのは、従業員ではなく役員です。役員は、会社のオーナーである株主から委任される形で、会社全体のために行動する地位にあります。役員が会社の利益を損なう結果をもたらした場合、場合によっては役員の地位を追われ、場合によっては株主から損賠賠償を請求されます。
一方、従業員は、会社の利益を考えて行動する地位ではありません。従業員に求められているのは、会社の指揮命令に従いながら、自らの職務に取り組むことです。従業員は、あらかじめ決められた労働時間に会社の指揮命令下に入っていれば、毎月のように賃金を要求する権利があります。会社側は、自社の財務状況が黒字だろうと赤字だろうと、従業員に対して必ず賃金を支払う義務があります。
もちろん、自分の勤務する会社が倒産すれば、自分の職も失います。その意味では、会社全体の利益がどうなっているかは、従業員に対して多大な影響を与えるものです。ゆえに、従業員が自らの属する会社・部署に対して「今の業務内容には問題があるのではないか」などと自主的に発言することは許されるべきです。しかし、それはあくまで自主的なものでなくてはなりません。会社サイドから従業員に対して「会社全体の利益を考えろ」と強要することは、会社制度の構造から見れば、明らかに間違っています。
そもそも、自分の勤務する会社に経営上の危機が生じているような場合は、速やかに退職して「別の船に乗り移る」ことを積極的に検討すべきです。そのために労働市場が存在するし、職業選択の自由が存在します。いま在籍している会社に生涯しがみつく必要はありませんし、沈みゆく泥舟をなんとか支えようと必死になる必要もありません。いずれにせよ、あなたには、会社全体の利益を考える法的責任など一切ないのです。
著書『キミが社畜になる前に』より抜粋
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