どうも、やんぐです。
私のDiscordやTwitterでの発言を知っている方は、私が強すぎるカードに危機感を抱く発言をしているのを目にしたことがあると思います。今日はその心を話します。
こういう問題を考える時には、まずいったん極端に考えてみることがわかりやすい。ここでは、中立で1/10/10のスタッツを持つ架空のゴールドカードXの発売を題材に検討します(お分かりのとおり、ここで題材にするカードは1/25/25でも、1/5/5でも、議論の本質的部分に変わりはありません。現実的に現れる問題状況は、いずれにしても程度問題になります)。
突然ですが、皆さんはチンチロリンというゲームをご存知でしょうか。お椀の中に3つのサイコロを投げて、その出目によって強さが決まり、それを比べて競い合うゲームです。ギャンブルとしては非常に古典的なものですが、完全な運ゲーで競技性は全くありません。地下労働場の娯楽としては素晴らしいですが、賭博要素なしにゲームとして楽しむことは難しいです。
クリスペに目を向けてみましょう。クリスペの面白さは、短い試合時間の中でも感じられる高度の知的戦略性に集約されます。ここでXがカードプールに存在した場合、Xを初手で引いた方が圧倒的に有利になります。片方が引けず、片方が引いた場合は引いた方が勝つことになる可能性が非常に高まります。そうすると、プレーヤーとしてはマリガンでXを探すことが最も重要になり、かくしてこのゲームはXを引くかどうかを競うゲームとなります。ゲームは競技性を失い、知的レベルがチンチロリンに近似していきます。
現実にはこれがもっとマイルドに訪れるわけですが、程度問題とはいえ【上の状況に近くなる】ことが本質的な問題です。実際、赤文明でグラウンドゼノを初手で引けた試合とそうでない試合、黒文明でエーリーンを初手で引けた試合とそうでない試合など、統計をとってみたいものです。程度問題ではありますが、もしそこに顕著な差があるとしたら、懸念する事態が起きていることになります。
強すぎるカードの発行は、ゲームの競技性を減少させ、知性を失わせます。
Xがカードプールに存在する時、Xを2枚デッキに入れない選択肢はありません。Xのスタッツは文明を問わずどんなカードよりも高水準なので、迷わず2枚入れなければ環境についていけなくなります。こうして、クリプトスペルズは30枚を自由な組み合わせによって考えるゲームから、28枚を自由な組み合わせによって考えるゲームになります。知的な後退ですね。
現実にはこれがもっとマイルドに訪れるわけですが、程度問題とはいえ【上の状況に近くなる】ことが本質的な問題です。実際、おそらく赤文明でのドラゴンシッターグラナ、黒文明での闇商人エーリーン、緑文明のエンスウ、青文明のフローズンスピア、白文明のアークビショップなどは、上記に近似した状態になっているといえるのではないでしょうか。
強すぎるカードの発行は、デッキの多様性を奪い、ゲームを固定化させます。
2の問題と重なる問題かもしれませんが、Xを2枚入れることによってデッキから外されるカードが2枚出てきます。Xの存在によって、外されるカードの価値は残念ながら下がってしまいます。
もっともこれは、ある程度はやむを得ないことです。カードプールが増えれば、その分過去のカード1枚あたりの活躍の機会は減りますから、全体としてはカード一枚あたりの価値は下がることが期待されます(もちろん、新たなカードの登場によるシナジーで価値が上がることもある。そこが面白い)。したがって私も、過去のカードの価値保全が常に優先されるべきだという極端な考えには立っていません。
新カードが出た時に理想的なのは、同コスト帯で競合する新カードAと過去カードBについて、あるデッキではAが有用で別のデッキではBが有用というような組み合わせが広がっていくことです。ここにおいて、どんなデッキであってもAのほうが優位である結果、Bの価値が毀損されるのは健全ではないといいたいのです。Xは、他のどんなカードよりも効率が良いので、どんなデッキであっても他のカードよりも優先して入れることになりますから、Xの発売は全ての文明の全てのカードの価値を毀損することになります。
現実にはこれがもっとマイルドに訪れるわけですが、【上の状況に近くなる】ことが本質的な問題です。私は先日、「ケラ」の登場でアミル堕天使デッキを組み直しました。天使カードも増えてきたため、思い切ってエーリーンとケルベロスを外したり、減らしたりを試してみました。しかし、しばらく対戦を繰り返した結果、黒文明で序盤の安定感を死ぬほど高めてしまっているエーリーンやケルベロスはデッキに戻ってきました。このゲームはサーチがなく、ドロー能力の査定が重いので、こういう、低コストで基本的にいつ出しても強く安定感を高めるカードは、見た目以上に価値が高いのです。
まず、上記1と2で示したような競技性の低下・ゲームの固定化は、シンプルにゲームをつまらないものにさせます。そのことによってユーザーは減るでしょう。空き時間にチンチロリンをやりたいと思う人はあまりいません。
価値毀損という点はどうでしょうか。仮に「インフレ上等!どんどん強いカード出します!」と宣言しているゲームがあるとします。そのゲームがあるカードを発売した時、そのカードは短期的に見れば有用なカードに間違いありませんが、長期的に見れば、その宣言との関係上、「必ず価値が下落していくカード」なのです。このようなカードは、合理的な投資家による資産としての投資対象にはなりにくいでしょう。このようなカードを買うのは(短絡的で不合理な投資家を除けば)「今強くて楽しければそれで良い」という考えの方々になります。つまり、短期的な利益に価値を感じて、その価値に金銭を消費する側面が強くなります。これはいうまでもなくアクティブなプレーヤーのことですが、この発行方針が、そのようなプレーヤーたちを長く繋ぎ止めていける面白いゲームであり続けるのに適切なのかは、上述のとおり疑問です。
他方で、強いカードが発売されることによるメリットもあります。そのメリットを核として予想されるいくつかの反論に応答します。
事務局含めてよく聞かれる意見ですが、私には非常に短絡的で視野が狭く聞こえます。
カードゲームには、カードパワーが飛び抜けて強くなくても、使っていて楽しいデッキが組めるとか、技術があれば工夫次第で強く使えるとか、単純なカードパワーが「強い」こと以外でゲームにおける価値が高いカードがあります。現状と同じカードパワーで、工夫の余地がある面白いカードは売れます。
また、カードが売れる(売れない)要因というのは、カードの中身だけではありません。ゲームをしている全体の人数が少なければ、強いカードも売れません。ゲームをしている全体の人数は何によって担保されるかといえば、ゲームの面白さです。広報や広告によるエンゲージメント、暗号資産の市場状況、ゲーム内の報酬ももちろん関係あるでしょう。こうしたカード内部の要素ではなく、外部的な要素で売れる売れないは左右されます。
強いカードは売れやすいです。しかし、論理的に当然のことですが、「売れる→強いから」とは限りません。使っていて面白いカードを工夫して考えたり、ユーザーを増やす努力を怠ったまま「強いの出しときゃ売れるでしょ」というのは、短絡的であるばかりでなく、ユーザーを馬鹿にしているとすら感じられます。
むしろ「売るための方策が強いカードを出すしかない」状態は危機的です。強いカードを出さないと売れない状況は、その次のカードを売るためにもっと強いカードを売らなければならなくなります。より強い薬を求める薬物依存症のようです。その結果、「第1」で書いたような、副作用としてのゲームの崩壊と価値の毀損が起こり、ゲームから離れる人が増え、ゲームは破綻に向かっていくでしょう。
Xを発売すれば、瞬間的には売り上げが上がると思います。ただ、Xを発売してはならないことは直感的にわかると思います。現実にはこれがよりマイルドな形で検討の俎上に乗るため誘惑に駆られますが、一度強カードの発行に乗り出したら、後戻りがしにくくなるのです。売上が厳しくなった従来型のソシャゲのサービス終了の前兆として、いきなり強すぎるアイテムが販売されるみたいなことが言われるのは、理解できます。
ゲームの価値を守り、持続的な発展を目指すなら、我々は短期的な視点だけでなく、賢く将来を見通す必要があります(余談ですが、私は、今カードがあまり売れてないのは、過去にエーリーンとかアクビとかエンスウとかどう考えても不当なカードを販売した影響があると思っています)。
これも、よく言われることです。確かに、環境を回すことは極めて重要です。いつも同じデッキ、「この文明といえばこの形」となってしまうと、飽きが来てしまいます。むしろ、強いカードを出さないことのほうがゲームの固定化を招いてしまうのだという批判は、十分考えられそうです。
ただ、これもできるだけカードパワーの標準は保ったままで、能力が面白いカード、コンボカードなど魅力的なカードを発行することで乗り越えたい。同じレベルのカードパワーでも、工夫の余地があるカードが発行され、ユーザーによって強い使い方が見つかれば、特別に強いカードを出さなくても、環境を回していくことは可能なのではないでしょうか。
わざと少しずつ全体的なインフレをさせ、販売利益や環境の変化といったメリットを享受しながらもそのインフレの幅の小ささでゲームの崩壊を防いでいるゲームもあると思います。
これは、ここまで「程度問題」としてきたところの限界となります。1/5/5ではなくて1/3/2ならどうか?というレベルの話。確かに、これがうまくいけば、デメリットを最小限にしながらゲーム全体のバランスをうまく進めていける可能性があります。
しかし、クリスペにおいては懸念すべき点がいくつかあります。
まず、ゲームの仕組み上の問題です。クリスペは、ユニットの能力の高さと勝利条件が直結しています。たとえばポケモンカードでは、「相手を一匹倒したらサイドを1枚取る、6枚取ったら勝ち」というルールが採用されています。このルールでは、ポケモンのわざのダメージが200点になろうが300点になろうが、ゲームに与える影響は限定的です。それに対して、クリスペでは、1ターンに15点も20点も容易に出てしまうと、数ターンキルが横行し、戦略が単純化し、ゲームが大味になり、面白くなくなります(余談ですが、S環境は現状、この意味で非常に重篤な問題に直面しているように思われます)。
そして、カードに書かれている情報が少なく細かな調整が難しい点。ほかの紙のカードゲームに比べ、クリスペはカード1枚に書かれている情報が少ないです。ゲームの性質上、対コスト比での能力1は(特に低コストにおいて)繊細であり、1/2/2と1/3/2や1/2/3では天地の差があります。搭載できるキーワード能力や特殊能力にも限りがあるため、ちょうどいい具合に「ほんのちょっとだけ上を狙う」というのが難しいように思われます。
そして、もう一つ重大な問題があります。
ほんのわずかずつのインフレは、上記「第1」の「1」及び「2」を回避するためにはよい方策となり得ますが、同「3」の問題は、長期的に見れば、急激なインフレと同様で回避できません。
ここで大問題となるのがレジェンドカードの存在です。クリスペは、レアリティによるカードパワーの差が正面から認められています。僕が過去に経験したカードゲームでは、高レアカードは強力で独特の能力があるものの、完全上位互換を超えるデザインは稀で、大幅に超えることはありませんでした。その発行枚数の少なさも相まって、レジェンドカードは極めて高値で取引されています。Xが発売されるように馬鹿強いカードが安価で手に入る場合はもちろん、レジェンド未満のカードが(漸次的であっても)インフレしていくことによって、レジェンドとの差が縮まってしまうことになります。その結果、人々の合理的な行動が「レジェンドは買わなくていいや」という方向に傾いてしまうこととなり、ゲームの売り上げにも悪影響を及ぼすこととなるのです。
インフレはあらゆる場面で絶対悪とまではいえませんが、クリプトスペルズの知的なゲームの性質、発行するNFTを資産とうたい発行枚数の少ないレジェンドに特別な価値を与える仕組み、そして100年続くサステナブルな目標からすると、インフレは絶対に相応しくない、というのが僕の意見です。
…と、僕は強硬にインフレに反対しますが、もしかしたら神経質になりすぎというところもあるかもしれません。極端になりすぎてはいけないと思いつつ、やっぱりゲームが壊れるのが怖いという気持ちもあり、迷っていました。ただ、最近、そんなに神経質にならなくても良いシンプルな方法を思い付きました。それは、
NFTカードをナーフできるようにすること
です。
いや、今もできるとは思うのですが、前例はなく、反対論も多い論点です。反対論にはそもそもその種の一律変化を認めない立場もあります。そこで、NFTカードをナーフすることの正当性は、別稿で論ずることとしています。また完成したら公開します。