
私はちょっと前まで、若い人が羨ましいと思っていました。
何故なら、私の若い頃はインターネットやSNSがなかったからです。
(いや、インターネットはあったでしょうが、身近ではありませんでした)
それ故に、若い頃の私は、どこに出してもお恥ずかしい超馬鹿でした。
大馬鹿じゃ足りません、超馬鹿です。
当時の賢い大人達(=大きな広告代理店や人件費を削減したい大きな会社の皆さん)にまんまと騙され、会社に縛られない私は自由だーとか喚きつつ、大学を辞めてアルバイトで働きつつ、自分探しという名の根無し草をやっとりました。
(いや、確かに私の頭も悪かったけど……あの時にはネットなかったもん)
今はそうではありません、情報は取り放題であり、生まれた時からその状態である若い人を、心の底から羨ましいと思っていました。
しかし今は、逆に気の毒だと思っています。
情報って、多過ぎても困るし、それで不幸な状態にもなるもんやねんな……。
不登校が増えたというニュースを見て、そりゃそうなるわと思います。
これは親が悪いとか不登校児の根性がないとか、そういう話ではありません。
時代ですよ時代、時代の流れです。
主にテクノロジーの進歩による、時代の流れ。
そして今、そのことにちっとも対応できていないんですよ?
日本の社会が、政治家先生が……も、そうなんだけど、国民の価値観が。
だから、親が悪い子供が悪いと、簡単に言う人がやたらに多いんですよ。
話を戻しまして。
私は自分探しの果てに、とてつもない無能だということを悟ります。
労働者として、あるいは経営者でも、とてつもない無能。
すなわち、プレイヤーとしてはとてつもない無能です。
そこで、プレイヤーとして能動的な生産活動をすることを諦めます。
そして生産活動を他者に委ねて、資本家になることを決意します。
とはいえ、完全に自らの生産活動をしない状態になるためには、かなりの投資をしなければなりませんが、そこは働いてコツコツ節約してがんばりました。
というわけで、もし、今の私が若い状態であったとしても……。
まず間違いなく、この方法を選択します。
しかし当時とは違い、労働的な仕事ってどうなるのでしょうか。
いや、まぁ、ありますよ仕事。
AIやAIを搭載したスマートロボットに仕事を奪われるぅーって、言われていますけども、それは全部ではありません。
奪われない仕事……それはっ?!
AIやスマートロボットを使うよりも安い仕事です。
つまり、最低賃金ギリギリ辺りの仕事というわけです。
念のため調べると、以下のような記事も出てきました。
河合 雅司先生の書籍からの記事ですが、ここでも以下の文言がありました。
経産省の資料によれば、米国ではデジタル改革によって機械に代替させやすい「ミドルスキルの仕事」が減少した一方、デジタル化するより人を雇用したほうが安くつく「低スキルの仕事」や、デジタル化が難しい「高スキルの仕事」が増加するという労働市場の両極化が進んだ。日本においても、同様の傾向が見られるようになるだろう。
だよねー……としか。
というわけで、ひたすら低賃金の仕事をがんばって節約し、片っ端から投資して……というのを毎月毎月ひたすら繰り返す、と。
そう言えば、「敗者のゲーム」という用語がありましたね。
これは「株式投資で、目利きによって良い会社をいち早く見つけて投資をして大金持ちになるという華々しい勝者ではなく、失敗して負けないことを目指して投資するということ」を指しているらしいですが。
これを広義の意味で言えば「自分自身で生産活動のできない無能(=敗者)が、やむを得ず選択する手段」である、ような気がします。
従来の日本人にとって、他者への投資=他人の褌で相撲を取る行為とは、けしからぬことであるからして、そうせざるを得ない者は敗者でしょうから。
だから高校の家庭科でしか資産運用を教えていないし(これでも始まっただけましだけど)。
そうそう。
もしも私が子供だったら、きっと不登校児になっていたと思います。
そしてそれを親や周りの人が許してくれなかったとしたら、自死を選ぶでしょう。
実際の話、日本は先進国でワースト一位の自殺大国ですし、特に若年層では死亡原因の一位でもあります。
もしも私が今、若い人だったら、こっち側かもね。