もうかなり昔の話ですけれども。
故竹下登元首相のお孫さんであるミュージシャンのDAIGO氏が、とあるトーク番組(番組名や局は失念。関西ローカルでした)で、以下のような内容のお話をされていました。
「初めは実力で認められたいと思っていたので、祖父の名前は一切出さなかった(出すのはとても嫌だった)。
しかし三十手前になっても売れず、もう後がないと思って積極的に祖父の名前を出すようにした」
それに対して、冒頭の言葉を返したのは……さて、どなただったでしょうか?
ヒントはこのイラストです。
※画像は【Frame illust】さんより頂きました
答えは漫才コンビ「海原やすよ・ともこ」のともこ氏でした。
(ヒントは「海原」でした……って、わかるかー!……ですよねぇー)
海原やすよ氏とともこ氏は「海原お浜・小浜」の故海原小浜師匠のお孫さんです。
「海原お浜・小浜」師匠は関西では知らぬ人のいない重鎮ですが、関西の女帝こと上沼恵美子氏の師匠だと言えば、そのすごさがわかりやすいかと思います。
(上沼氏の漫才師時代はコンビ名「海原千里・万里」で、海原千里という芸名でした。結婚を機に引退、後に現在のお名前で復帰されました)
実は「海原やすよ・ともこ」の師匠は「海原お浜・小浜」ではなく、海原一門の方でもありません。
師匠は「中田カウス・ボタン」の中田ボタン師匠であり、従って本来なら「中田やすよ・ともこ」になるはずでした。
そのボタン師匠が「女流漫才の名門である海原の屋号を名乗ったほうが良い」と言ったので(小浜師匠にも相談し快諾されて)、現在のコンビ名になったそうです。
というわけで、冒頭の「使えるものは何でも使った方が良い」という話に至るわけですけれども。
使いたい「もの」が「者」=「人」の場合は、きちんとその人と相談しなければなりません。
「物」とは違って「人」の場合は、意思というものがあるからですね。
さて、最初の話に戻りますが、DAIGO氏が祖父の故竹下氏の名前を使わなかったのは、竹下氏が許可しなかったわけではありません。
「自分の実力で売れたい」あるいは「祖父の名前を持ち出すのはプライドが許さない」などという、DAIGO氏自らの意思によるものでした。
(とはいえ、故竹下首相が消費税を導入した時にDAIGO氏は学校でいじめにあったそうで、使いたくない理由は他にもあったのではないかと思います。これは気の毒)
ここら辺の話はすべて自分の中で解決できる問題であり、使う相手側の問題ではありません。
というわけで、結論と致しましては「できるだけ使えるものは何でも使った方が良い(が、相手が人の場合は気を付けよう)」というお話でした。