実はこのテーマでは既に書いたことがありました。
一言でまとめると「使うことで、その仮想通貨の価値が高くなるよね」という内容ですけど、これは仮想通貨だけの話に留まらないんですよね。
では、本題。
もう十年ぐらい前にはなるかと思うのですが、私が実家に帰省した当時、ノーベル賞を受賞した中村教授の話になったことがありました。
(この話をした時は、中村氏がノーベル賞を取るよりも前です)
その時に母は「私、あの人、根性悪いから嫌い」と言い放ったのです。
「えー、お母さんて、こんなに頭悪かったっけ」というのが、私の正直な感想でしたが、とりあえず反論してみました。
「お母さん、好きか嫌いかとか、そんな子供みたいなことを。
あのね、あの中村教授の発明した実用的な青色の発光ダイオード(以下LED)って、どのくらいすごいか、わかっとるん?」
そしたら母は「そんなん知らんけど、まぁ、すごい人だからこんなに話題になっているんやろうし、でも会社との間で……」ていうのです。
いや、知らんのにそんなん言うたらダメでしょう。
学者さんの評価は人柄とか誰かと揉めてるとかそんなんじゃなくて、まずはその研究した内容から判断されるべきです。
そして私は母に説明しました。
LEDの利点は、とにかく圧倒的に電気代が安いということ。
光の三原色RGBのうち、Rの赤とGの緑は実用的なものができているけど、Bの青だけが難しくてなかなかできなかったこと。
青ができないために、赤と緑とそれを混ぜた色の濃淡を変えた色しか出せないので、実際にはほぼ使い物にならなかったこと。
青ができたら、RGBの三つが揃うことになって、たくさんの色が出せるようになること。
たくさんの色が出せるようになったら、これからいろんなものに応用されていろんなものの電気代が安くなること。
(その具体的な例としては、ここにいる皆さんはご存じだと思いますが、一応。
三色揃ったらLEDでディスプレイができるから、電気代めっちゃ安くなってウハウハになりますよね)
説明した後、私は母に問いました「最終的に得をするのは、誰なん?」って。
母は無言になりました。
というわけで、私が母に言いたかったのは以下です。
1,学者さんの評価対象は、その研究内容である
2,その研究によって、皆の電気代が安くなる→すごい
3,その研究によって、地球にも優しくなれる→すごい
だから、研究内容を知った上で「研究されていることは確かに素晴らしいけど、だからこそ、このような言動や行動はもったいないのではないか」とか、そういう言い方になるはずではないですかと(文句がどうしても言いたいのなら)。
つまり、理系または専門分野に近い人ではなくて詳しい話がわからない人は「わからない、知らないっていうのを免罪符にして、思考停止に陥る(で、大多数の意見にとりあえず乗っかる)」っていうのをまずやめるべきではないかと思います。
どうしてもわからない、知らない、興味のないものを知ろうとするのは苦痛ですが、それならば、素直に「わからない」と言って口出ししない方が良いでしょう。
でないと私の母のように、知らんところでバカにされる可能性があるからね。
(ただし私は、できるだけ知ろうとして欲しいと思っています。
そのことで後に、富を得るかまたは失うことが防止できる可能性がありますから)
最後に、冒頭でリンクした記事でも引用していた、慶應義塾大学大学院理工学研究科・鹿野豊先生の以下の記事のお言葉を、ここでも引用致します。
しかし、私は逆に、理系の人間には、コンピュータが解くべき問題を発見する役目は果たせないかもしれない、と考えています。
なぜなら、問題を解くより発見することが重要だからです。
たとえば、プログラマなどは、誰かが問題を与えて初めて、本領を発揮できる。
だから人にもよりますが、彼らに作りたいものを作らせると、箸にも棒にもかからないようなアプリやプログラムが出来てしまう場合があります(笑)。
誰に届けるのか、というニーズがはっきりしていないからです
そのテクノロジーを使うと、何ができてどのような利益になるのか?
そのテクノロジーの学者さんや専門家以外の人は、このことを知る必要があります。
そのテクノロジーを使いたい、または言及したいとするならば、必須です。