今回の記事は『評価する能力について ~表ブログの裏~』で頂いたblk3dayade様のコメントで思い出した話です(blk3dayade様、コメントと投げ銭をありがとうございました)。
タイトル、いきなり大きく出てしまいましたが。
この件に関してだけは、本当に自信があります。
ただし、このことでお金を儲けるということについては、自信は全然ありませんけどね。
……って、そこが一番肝心なことちゃうんかーい、て話ですけど。
というわけで、話を戻します。
一口に高級品と言ってもいろいろありまして、大きくわけると「ラグジュアリー」と「プレミアム」に分かれます。
(個人的には「ラグジュアリー」の背後にある「リュクス」にも触れて欲しかったところですが。
「リュクス」については後述します)
昨年末に夫より「勉強になるからこの動画は視聴した方が良い」と言われ、以下の動画を紹介されました。
相方のカジサック氏のチャンネルで公開されているものです。
該当の箇所は46:38以降と56:08以降で、まとめると以下のようになります。
・プレミアムは競合がいる中での最上位の商品、ラグジュアリーは競合がいない商品
・プレミアムの値段を決めるのはお客さん、ラグジュアリーの値段を決めるのは売り手
これは「マーケティング上の解答としては大正解」ではないかと思います。
逆にマーケティングの戦略等を一切無視した真の解答は、以下です。
・プレミアムは付加価値を持つ商品、ラグジュアリーは本質的な価値を持つ商品
この動画で西野氏は、独立研究者の山口周氏が述べた図を紹介されていました。
動画から静止画を切り出して、ちょっとだけ補足し書き加えたものです。
この図を拝見し、私は山口氏の元ネタかもしれない図を思い出しました。
その話は長くなりますのでまた後日とさせて頂き、話を戻します。
山口氏は自動車で例えておられるようですが、私は婦人服でお話しします。
まずは拙著『高級品で、これからの生き方を学ぶ』でも取り上げた、伊藤忠商事の会長CEO岡藤正広氏の話をご紹介します。
上記リンク先の記事の該当部分をまとめると「岩手県のあるメーカーがフランスの高級婦人服シャネルに生地を納めていた。1着分3メートルで1万5000円だが、シャネルはこの生地で作ったスーツを1着150万円で売っていた。値段の差は100倍。もっと生地を高く売ればいいのに」という話でした。
で、ここでシャネルのスーツが1着150万円、たかが服1着で高いなーて話ですけど。
まー普通に考えたら、生地代とデザイナーやパタンナーなどの人件費と広告宣伝費と合わせても150万円には程遠いですよね。
実はあれ、服の値段じゃありません。
あの値段の大半を占めるのは「ココ・シャネルの思想や哲学」なのです。
(その次に「歴史(デザイン時や販売した後の影響等)」が占めています)
つまりこのスーツは「ココ・シャネルの思想や哲学という、本質的な価値を衣服で表すとこうなる」というものなのです。
拙著の一部を抜粋します。
一時は引退していた創設者ココ・シャネルでしたが、クリスチャン・ディオールの「ニュールック」と呼ばれる女性的なデザインの服が復権したことに激怒し、復活しました。
「ニュールック」の服とは、男性の目から見た女性らしい美しさを追求したもので、細いウエストラインと足首まで届くロングスカートが特長です。
ココ・シャネルが激怒した理由とは「せっかく自分が苦労して、締め付けて苦しいコルセットと動きにくい長いスカートを女性に強要していた時代から解放したのに、またそれが復権するなんて」というものでした。
つまり、シャネルのスーツの何がすごいのかと言うと「男性から見た女性の美しさの強要から、女性を解放する」という思想的なものが含まれているところです(単にコルセットをやめただけならポール・ポワレという男性デザイナーの方が先でした)。
~中略~
また、哲学やコンセプトなどの話だけではなく実際に窮屈な服ではないため、このスーツを着て働く女性の生産性もより高くなったことでしょう。
~中略~
そしてこの「デザインが非常に良く、しかも良いデザインの割には機能性も優れている」というのは、デザインに人それぞれの好みがあるとはいえ事実であり、その品質保持のために高い価格設定になるのは納得できる理由があります。
ではその理由とは何なのか?
その理由は「創業者ココ・シャネルの哲学を受け継ぐことのできる、素晴らしい実力を持つデザイナーがデザインをしている(素晴らしい実力のあるデザイナーを血眼になって探し出して、そのデザイナーに高いお金を払って素晴らしい服を作らせている)から」です。
補足として、欧州ではシャネルのスーツはあまり売れませんでしたが、アメリカでキャリア志向の強い女性の心を掴み、非常に売れたそうです。
アメリカはイギリスを抑えて世界最強の国になりましたが、その原動力の一部がこの女性たちであり、同時に世界のGDPが躍進する一助にもなっていたのです。
まとめると以下のようになります。
「1着150万円は妥当。何故なら、ココ・シャネルの哲学という本質的な価値はそのぐらいの値段である。その価値のわかる人にだけ買って頂いたらそれで良い」
これが「ラグジュアリー」の考え方です。
(だから西野氏の言う「ラグジュアリーの値段を決めるのは売り手」になるわけです)
ところで、先ほど「リュクス」についてお話ししていましたね。
「リュクス」とは「ラグジュアリー」のフランス語です。
「ラグジュアリー」を考える上で、芸術の都パリ及び世界最大のラグジュアリー企業体LVMHの本部のある国、フランスを欠かすことはあり得ません。
というよりも、本質的に言えばむしろ「リュクス」の英訳が「ラグジュアリー」であり、ラグジュアリーを考える上では「リュクス」の方に着目すべきです。
この「リュクス」という単語は、意味の中に「その人のこだわり」や「本物志向」というものが「ラグジュアリー」よりも濃く含まれ、その分逆に「高価」や「(誰もが羨む)ぜいたく品」という意味合いが薄まるそうです。
フランスは個性や個人のこだわりなどを高く評価する国で、高級品や芸術品などの嗜好性の高い嗜好品については「この作品が理解できるとは、あなたはとても見る目のある人だ」という、お客さん(=評価できる人)も高く評価されるという国です。
(余談ですが、私はひきこもりについての電子書籍を書く際に、フランスではひきこもりを「それは個人の自由だから(ゲームやアニメ等を高く評価して、ひきこもって楽しむのもその人の自由)」と問題視せず放置していたことが、逆に深刻化し後に大きな問題となったことを知りました。
また、個人の自由を尊ぶあまりに、コロナ対応では政府のアナウンスを無視する人が多く、蔓延する理由の一つとなっているそうで、良いことばかりではありません)
というわけで結論として私は、この文章をここまでお読み頂いた皆さんには、以下のように思っています。
◎最初から「リュクス」を目指して(見つけて)欲しい
そして他の人の「プレミアム」とか「ラグジュアリー」とか、あるいは逆に安物だとか言って貶さないで、他の人の「リュクス」も尊重してあげてください。
これこそがまさに、これからの時代や多様化した世の中に最も合っていると、私はそのように考えております。
……と、ここで終わっておけばカッチョエエ話ですけど。
ここからはちょっとばかり下品な、お金の話を少々。
「リュクス」⇒「ラグジュアリー」となることがあります。
わかりやすい例で言えば、ゴッホの絵。
ゴッホが生前売れた絵は『赤い葡萄畑』一枚で400フラン、現在の貨幣価値で言えば5~10万円でだそうです(所説ありますし、また弟のテオに引き渡した時点で絵が売れたと考えると、結構売れてるやん……て、話にもなります)。
この絵を気に入って買った人にとっては「リュクス」でしたが、その後に価値が出て「ラグジュアリー」になった、という話ですね。
また、私の個人の体験でいえば「小学校の頃に流行ったドラクエとファミコン」が当時の私にとっての「リュクス」でした。
(子供の私にとっては「リュクス」だし、それにドラクエって「遊び人を極めると賢者になる」辺りが結構哲学的だったりしますよあの作品は)
当時の私は株取引をしていた父親にこの話をしましたが、父は「ガキのおもちゃ」だと一蹴しました。
(その後、父は任天堂の株を買っていなかったことを激しく後悔します。この辺りの詳しい話にご興味ある方はこちらもよろしく)
というわけで、最後に言いたかったのは「自分のリュクスを見つけて大切にし、他の人のリュクスも尊重することで、それが多額のお金に変わることもある」という話でした。
表の話は以上ですが、最後の話を気に入って頂けた方は裏の話もおすすめです。
※裏の記事はこちら