※表の記事はこちら
今回の記事も『評価する能力について ~表ブログの裏~』で頂いたblk3dayade様のコメントで思い出した話です(blk3dayade様、コメントと投げ銭をありがとうございました)。
表の記事では「ラグジュアリーは本質的な価値を持つ商品」「ラグジュアリーよりもリュクスがおすすめ」「リュクスがラグジュアリーになることもある」などの話をさせて頂きました。
最後の「リュクスがラグジュアリーになることもある」にはお金の話が含まれていますが、今回はさらに「お金そのもの」の話から入っていきます。
前回「ラグジュアリー」の例でシャネルのスーツを挙げ、その本質的な価値とは「男性から見た女性の美しさの強要から、女性を解放する」というココ・シャネルの哲学的な思想である、と書いていました。
思想とは形のない抽象的なものですが、日本人はこの「形のないもの」を軽視する傾向があります(その反面、物を大切にするという良い面にも繋がっています)。
そしてこの「形のないもの」には我々のお金である「日本円」も含まれています。
日本円の正体は「日本という国の持つ信用」であり、何か裏付けのある物が存在するわけではありません。
紙とか金属の形をしているのは使う時に便利だからであり、あの紙や金属自体に価値があるわけではないのです。
で、これは日本円やアメリカドルなどのリアルな通貨だけでなく仮想通貨や、通貨以外の暗号資産にも当てはまる考え方なんですよね。
(もっと言えば、日本円は我が国の「信用」しか含まれていませんが、クレジットのデータにはそのお客さんの「信用」を含むデータが含まれています。
このため、自分が良い客だという自信があればあるほど、決済時に現金を使うのは損をすることになります。
クレジットのデータよりもさらにその先にあるのが仮想通貨であり暗号資産である……ということがわかったら、仮想通貨や暗号資産をインチキだとか言ってバカにするとかありえないですよね)
話は変わりまして前回、西野氏のプレゼン時の山口氏の図を拝見し、元ネタかもしれない図を思い出した話をしました。
横に並べてみます。
ちょっとずれてしまいましたが、右図は拙著『人文学(とちょっとだけ仮想通貨&NFT)で、これからの生き方を学ぶ』で載せていたものです(本を出す前の元ネタのブログ記事はこちら)。
右図はマックス・ウェーバー(ヴェーバー)の「社会的行為」です。
上手くいっている会社は合理性を保っている状態ですので、合理性のない下半分を削り、上半分の真ん中辺りに横軸を持ってくると、次第に左の図っぽくなってきます。
(縦軸の「役に立つ」という価値観は「合理性」とほぼ一致していますが、横軸はちょっと違いますけども)
この右図について、拙著より該当部分を抜粋します。
「社会的行為」についてですが、行為とは人が何らかの意志や目的を持って意識的にする行動で、中でも社会的なものを次の四つに分類しました。
・目的合理的行為(目的を達成するための行為、結果を出すことは必須)
・価値合理的行為(価値観に対しての行為であり、結果ではなく満足感)
・伝統的行為(日常的に身について習慣化し、当たり前になった行為)
・感情的行為(感情が動機である行為)前者の二つが「合理的な行為」であり、後者二つが「非合理的な(合理的ではない)行為」ですが、会社の場合は前者の「合理的な行為」が経営の根幹を占めていなくてはなりません。
会社の目的は「利益を得ること」であり、その意味では「目的合理的行為」が会社の存在理由となります。
しかし近年では世の中の進歩により、営利目的以外の「価値合理的行為」が非常に注目されるようになりました(ESGやSDGsがその例です)。
ただし高級品においては昔から「価値合理的行為」が非常に重視されており、場合によっては「目的合理的行為」よりも優先されることも多々ありました。
例えば高級婦人服のシャネルの場合、スーツのデザインではどんなに美しく売れそうなものであっても、ウエストを締め付けた動きにくいものが採用されることはありません。
それはココ・シャネルの「束縛から女性を解放するため、動きにくいデザインにはしない」という哲学に反するからです。
また、伝統的行為とは「今までこうだったから」など、ほぼ考えることのない短絡的な考えの行為であり、これと感情的行為と合わせて「合理的ではない行為」です(個人の場合、何故「感情に支配されるか、または短絡的な考えで行動することを避けるべき」なのかという理由が、このマックス・ウェーバーの「社会的行為」でも説明することができます)。
以上です。
補足として、例えばシャネルなどの「ラグジュアリー」の会社は「客を選ぶ」という行為を平気でします。
この点でも「プレミアム」とは大きく異なっています。
昔、日本を代表する大物女優が「シャネルを出入り禁止になったらしい」という噂が流れたことがありました。
「本店での失礼な態度」とか、あるいは「多額の借金の返済が滞っている」などの理由でブランドイメージが悪くなる、というものでしたが。
真偽はさておき、ラグジュアリーの会社なら十分にあり得ることです。
(実際に、かつて城南電機の故宮路社長がとあるブランドの本店を訪れましたが、転売目的であったのがばれていたために入店を拒否された、ということがありました)
この女優はシャネルを愛好していることで有名であり、ほとんどの人は当時「シャネルも商売だから、そんなことをするはずがない」と言っていました。
ところが、ラグジュアリーの会社はそんなことをするんですよ?!
何故なら、彼らは「価値合理的行為」で動いているからです。
自らの価値(ココ・シャネルの哲学や思想)に反すること(この場合はブランドイメージを棄損すること)は、お金が儲かるという目的を達成できることであっても決して選択しない、これがラグジュアリーの会社です。
大半の日本の個人や会社は「目的合理的行為」で動いています。
(会社の「目的合理的行為」とは、お金を稼ぐことです)
だから「今、これからの時代」に対応できないでいるのです。
というわけで、前回も含めてまとめると以下です。
◎会社では「価値合理的行為」個人では「リュクス」が大事
なのですが、これを書いている時に西野氏の誤りに気付きました。
誤りというよりも「限界」と言った方がより正確だと思いますが。
この話については長くなりますので、次回とさせて頂きましょう。
(あと、タイトルや表現にも気を付けなければならないな、と)