お坊さんが生きたまま石棺に入り、食事を一切取らず石棺の箱の中で念仏を唱え続けて、念仏の声が聞こえなくなったときに空気穴を密閉しそのままミイラとなる。
命を捧げる、とても壮絶な修行。
そんな、生きたままミイラになる即身仏(そくしんぶつ)がかつてあったとのこと。
この即身仏、あるいはミイラ仏は今でも日本にいくつか現存します。
そのひとつが、京都大原・古知谷(こちだに)にある阿弥陀寺(あみだじ)のミイラ仏なのです。
生きたままミイラになるという修行があまりにも過酷なため、ミイラ仏はを実際に見に行くことはなかなか憚られます。怖いしね。
なのでこのミイラ仏は知る人ぞ知る存在で、阿弥陀寺も訪ねる人は少ないお寺なのです。
しかし今回、意を決して見にゆくこととしました。
いやぁ、めっちゃ怖かったんですよ。
古知谷 阿弥陀寺は、京都大原のさらに奥にあります。
地図を見ると山の中ということが分かります。
いかにもミイラが眠っていそうな、人里離れた場所。
このあたりは三千院で有名な京都大原の一角なのですが、三千院などがある大原の中心部ではなく、さらに奥に入った古知谷(こちだに)という山間の谷にポツンと建っています。
このような山の中なので訪れる人も少なく、ひっそりとしています。(紅葉の名所なので、紅葉の時期は参拝者が多いようです。)
公共の交通手段は、大原の中心部である大原バス停までは京都駅や四条河原町駅などの繁華街、京都市営地下鉄烏丸線の終点、国際会館駅から京都バスが30分に一本程度出ています。
そして阿弥陀寺のある古知谷へは、大原バス停でバスを乗り換えます。
大原バス停から古知谷バス停へのバスは1日に7~8本と不便です。
古知谷バス停からは徒歩となり、おそらく30分弱でしょうか。
このようにかなり不便な場所なので、訪れる人はほとんど車で来られるようです。
あと、大原のハイキングをしている人が立ち寄るくらい。
僕も車で訪問しました。
これが大原の中心部です。
のどかですねー。
こののどかな風景とは別世界の光景をこの後に見ることになるとは、この時は知る由もない…。
さて、目指す古知谷(こちだに)は奥に見える山間の谷になります。
行きましょう。
古知谷阿弥陀寺の入口、山門にやってきました。中華風の楼門ですね。
横の石柱には「弾誓仏一流本山」と書かれています。
弾誓とは、今回の主役であるミイラ仏になられた弾誓(だんせい)上人のことです。
この山門の横に広い駐車場があるので、基本的にはここで車を止めて徒歩でお寺まで登ってゆきます。
山門をくぐると、すっかり谷あいの山道です。
これを延々と登ってゆきます。
ですが、実はこの道、細いですが自動車通行可なのです。
この先に小規模ながら駐車場もあります。
徒歩だと15分くらいの登りですが、車だと徐行して数分で着きます。
軟弱者の自分はもちろん車で行きましたw。
とはいえ、車は途中まで。
途中からはこのような階段が続くので、徒歩で登ります。
石柱に「禁葷辛酒肉」と書かれています。
ここから先は臭いの強いもの、辛いもの、酒、肉は持ち込んではならないとの意味。
修行の邪魔になるからですね。厳しい。
やっとお寺の建物が見えてきました。
斜面に石垣を作ってその上に建っています。
だんだんと厳しい雰囲気になってきました。ここならミイラが安置されていてもおかしくない雰囲気です。
さらに登りましょう。
ようやく古知谷阿弥陀寺に着きました。
こちらは本堂。
天気がよく、ちょうどシャクナゲが満開で癒やされます。のどか。
しかし!
この看板を見て、背筋が寒くなってきました。
古知谷阿弥陀寺の説明です。
内容をかいつまんで書くと、
・弾誓(だんせい)上人が1609年にこのお寺を作られた。
・弾誓上人は自分の木像を作って、自分の頭髪をその木像に植えられた。その木像が本堂に安置されている。
・弾誓上人は石棺に納められ、ミイラ仏として安置されている。
ということで、その頭髪が植えられた木像やミイラ仏を納めた石棺が拝見できるとのことです!
そして今回は、なんといずれも撮影可能。
とはいえ、撮影してブログやSNSに載せるにはちょっと衝撃的な写真なので、古知谷阿弥陀寺について書かれている記事を見てもあまりこれらの写真は出てきません。
ということで、以下はあまりお目にかかることのない貴重な写真が含まれます。
そして、霊感が強い方は気分が悪くなるかも知れませんので、お気をつけください。
まずは、弾誓上人がご自身で彫られ、ご自身の髪の毛を植えたという仏像を拝見します。
右の座っている像は阿弥陀如来坐像で、重要文化財です。
そして中央に安置されているのが、弾誓上人の自作自像植髪の尊像です。
阿弥陀寺の御本尊。
御本尊、小さくてお顔がよく見えませんね。
望遠レンズで大きく撮ってみます。
とても神々しいお顔。
弾誓上人みずから彫られたということですが、とても素晴らしい出来栄えのように感じます。
ちょっと厳しいお顔でしょうか。
弾誓上人はずっと厳しい修行をされて、最後は自らの命を修行に捧げた方ですから、厳しいお顔になっているのかもしれません。
そして、植えられた上人の髪の毛は両耳の近くに少し残っているとのことですが、この写真からは分かりませんね。
仏様にお参りをしたので、御朱印をいただきました。
弾誓仏と書かれています。弾誓上人のことですね。
では、いよいよミイラ仏の石棺を拝見しましょう。
本堂の横に、渡り廊下でつながったお堂があります。
このお堂の奥が岩窟になっていて、そこにミイラ仏が安置されているのです。
渡り廊下を歩いて、奥が弾誓上人石廟です。
恐る恐る、廊下を進みます。
弾誓上人石廟。
この奥の暗い場所にミイラ仏があるのです。
でも、この雰囲気、入りたくないですよね。見たいような見たくないような…。
さらに横にある説明文がまた怖い…。
ですが、大切な説明が書かれていますので読みましょう。
上の文を少し略して分かりやすくして、書き写します。
この奥にある岩屋は、この山寺で修行していた僧たちにより掘られたものです。
弾誓上人は穀断ち塩断ちの末、松の実 松の皮を食べ体質を樹脂化した後に、念仏三昧をもって生きながら石窟の二重の石棺の中に入り、念仏の声が聞こえなくなった時、空気穴を密閉し
現在でも「ミイラ仏」として、正座して合掌された姿で安置されています。
(原文を一部省略、改変)
うわーっ、もうこの先に進むのが怖いよー。おうちに帰りたいー。
しかし、ここまで来たら進むしかありません。
暗い暗い岩窟へと進みます。
と…。
こ、これが石棺…。
狭い岩窟が掘られた場所に、石棺が設置されていました。
この狭い空間では圧倒的な威圧感です。
石棺の中の弾誓上人の気迫が感じられ、空気の圧力が半端ないんです。
そして、この岩窟は実際はとても暗いのです。
さすがにカメラのフラッシュを光らせることはできないので、この写真は明るいレンズをつけた一眼カメラでフラッシュ無しになんとか撮れました。
撮っている間も冷や汗ですよ。
写真撮影は可なのですが、撮るな撮るなとミイラ仏に言われているように思えるので、数枚だけ撮ってごめんなさいをしました。
しかし、ここまで来たらこの扉を開けてミイラ仏を見たいですよね。
開ける事はあるのでしょうか?
Wikipediaによると、明治初年に現在の石棺に収められた後は一切公開されていないとのことなので、公式に開けることはないようです。
となると保存状態はどうなんでしょうね? ちょっと推測してみます。
・阿弥陀寺のミイラ仏は、日本に現存しているミイラ仏で最南端かつ最西端。
他は東北がほとんどで、寒冷地なのです。古知谷は京都市街より気温は低いですが、それでも東北より高温で腐敗しやすいと思われます。
・洞窟は水が滲み出て足元を流れていました。湿度は高そうで保存に不利。
・明治初年以来、公式にはずっと扉を開けていない。ということは、メンテナンスが十分できていないでしょう。
ということで、良好な保存状態を期待するのは難しいのではと考えます。
扉を開けて見たいような、開けるのが怖いようなという気持ちです。
さて、この石棺は正面から見るだけではなくて実は裏まで行けて、石棺の周りを一周することができるんです。
かなり暗くて怖いのですが、裏になにかあるかも知れないと思い石棺の後ろに回ってみました。
裏に回ると…。
あれれっ? 暗いのが一層暗くなったよ?
どんどん闇に包まれてゆくよ?
あれあれっ、石棺の闇の中に吸い込まれてゆくような?
あっ、あああっ~!!
このあと、こすもすが無事に古知谷を出られたかどうかを知る者はいない。
風の噂だと、ミイラ取りがミイラになったかも知れないとのことである。
Camera: LUMIX G8
Lenses: LUMIX 12-60mm F3.5-5.6, 45-150mm F4.0-5.6, LEICA 15mm F1.7, LUMIX 42.5mm F1.7
本記事は、2021年怪談?部 真夏の怪談フェス参加記事です。
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