私がその家を訪問したのは、夏の日の夕暮れ時でした。
大きな門を通り抜けると、森の中に小さな一軒家が有りました。
少し古ぼけた、インターホンを押すと、この家には似合わない若いヘルパーさんらしい人が、私をお部屋に案内してくれました。
この家のご夫婦は、90歳を超えていましたが、二人ともとてもにこやかで、矍鑠としておりました。
二人は、一匹の黒い猫を可愛がっておりました。
この猫も、もう随分年をとっているのでしょう。痩せていましたし、目は、白く濁っていました。もう目が見えないのかもしれません。
一時間ほどの滞在時間でしたが、お二人の話は楽しく時間が経つのも忘れてしまいました。
とりわけ、リビングに飾られている家族写真の多さに目を見張ります。
この写真の中で、ひときわ目についたのは、笑顔の素敵な二人と、若々しい黒い猫の写真でした。
年を重ねられてはいましたが、二人の笑顔には、面影が残っています。
私は、こうして、元気に過されている方々に接すると、幸せな気持ちになります。
そして、黒い猫も私と同じ思いだったのでしょう。
幸せそうにうっとりとしていました。
二人は、介護保険で支援を受けながら、二人だけの生活を送っていたのです。
私は難病の相談員として、数か月に1度、安否確認をする仕事をしています。
訪問して、病状の進行具合、生活状況、介護、医療の状況を確認する仕事なのです。
保健所から、数件の依頼が届きます。
その中の1件を今日は訪問したのです。
数日前に、電話をかけました。その時、若い人が電話に出て、今日の日の予定を入れたのです。
お二人のカルテに、今日のバイタルサインと前回の内容とほとんど変わらないことを確認して、退室しました。
帰りは、ペルパーさんは帰ったらしく、私を玄関まで黒い猫が見送ってくれました。
・・・
数日後、私は、報告書を提出します。
その時に、担当保健師さんに、言われたのです。
「この前ごめんなさい!亡くなった人の情報を送ってしまって!」
「え!」
「その方、訪問しましたけど!」
・・・
私は信じられず・・・もう一度電話をかけました。
今度は誰も出ません
・・・
もう一度訪ねてみました
・・・
鍵のかかった玄関の前には、
あの日の黒い猫が、私を待っていました。
何を伝えたかったのでしょうか?
おしまい
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