このタイトルは『有能な人はそれを行使する義務がある』だが本文はそれだけではない。『無能はそれを自覚しろとも』付け加える。そして本文で使われる有能と無能は人間自体を指す言葉ではないく、その状況に応じた能力の有無に関してだ。
例えば私は最近家の壁紙を張り替えていて、それを手伝っていたが、壁紙を破りたり、気泡が入ったりと超が付くほどド下手くそだ。よって私は壁紙を貼ることに関しては無能ということだ。こういう表現ということを念頭に置いておいてこの記事を読んでほしい。
これはニセコイというアニメで使われた桐崎千棘の母の言葉である。世の中色々な人がいて自分の得意分野がある。その人は自分の得意で有能と評価されるところをするべきだ。適材適所ということだ。そのほうが本来の能力を120%引き出すことができる。その分野でできない人が多いなら、できる人がやるのは鉄則だろう。何より有能と評価されるところをやるのは苦痛でないし、腕が上がりやすい。何より有能を埋もれされとくのは得策と言えないのは満場一致するだろう。
学校でのこと。ある文化祭実行委員がポスターの準備をする際に美術が得意な人に他の仕事をお願いし自分(実行委員)はポスター準備に取り掛かっていた。その実行委員ははっきり言って絵は下手だ。そして美術が得意な人の才能はプリントを運ぶということに消費されてしまっている。こんなことはあってはならない。
無能は無能らしく自分は何ができるかを分析して行動する必要がある。下手に首を突っ込み手伝おうとするのは余計なお世話となる。さらには、有能は人はあなたの手伝いを断りにくい。断りにくい上に自分一人でやったほうが効率も精度もいいのに、あなたがいるせいで悪くなるとは言えないだろう。なぜならあなたは善意で動いているはずだからだ。親切心で動いているつもりかもしれないがそれは相手からしたら有難迷惑かもしれない。指示を出すのも面倒くさいことだろう。無能は無能と思われるところをやらないことが最適だが、やらなくてはいけなくなった場合。有能を際立たせる役になれ。
私は壁紙を貼るのが無能と気づいた時点で、家族の補助に回った。言うなれば雑務だ。必要とされた道具を渡し、ご飯を買ってくる。こんなことでも無能は私は役に立てるのだ。
周りにコイツは無能だなと思う人はいないか。世の中には何をやらせても全くできない人もいるが、その人は無能なのではなく、自分という人間を正確な理解と判断ができていないのかもしれない。自分がそこには合っていないと理解したらそこにはいないはずだ。あなたが上司で部下が無能ならあなたの配属ミスかもしれない。能力を最大限活かさせるのも、上に立つ人役目だ。働きたい。