ネットやテレビでは、「貧富格差は問題である」「格差が広がることは良くない」といった内容がよく見られる。
果たして、本当に貧富格差があることは問題なのだろうか?
ぼくは日本という国において「貧富格差は問題だ」というのはウソである、と主張したい。
ちなみにだが、ぼくはおそらく日本において貧富格差の「貧」のほうの人間だ。それでも格差は問題だと思わないし格差はあって当然だとすらおもっている。
もちろん、絶対的な貧困はなくしたほうがいい。世界には紛争などが原因で経済がめちゃくちゃで十分な食事が取れなかったり衛生状態がひどかったりする国もあり、人類全体の解決しなければならない課題はたしかにある。
しかし、日本において、絶対的貧困は存在しない。なぜなら生活保護というセーフティネットがあるからだ。すばらしい国だ。
じゃあなぜ、貧富格差が広がることを恐れる人がこんなに多いのか?
おそらく、金が足らないと感じている人がたくさんいて、その人らの多くがじぶんの金銭不足を富裕層のせいにしているからだと考えられる。「パイはみんなで平等に分けないとダメだろ!」みたいなノリで。
でも、実際は世界中でパイは大きくなり続けていて、人口増加ペース以上に食糧生産ペースは上がっている。なんなら食糧は余っていて、食べ過ぎで病気になる人がいたり大量に廃棄したりしているくらいだ。
だから、多くの人は富裕層のせいで経済的恩恵が受けられないのではない。むしろぼくたちは富裕層などビジネスを回す人のおかげで十分すぎるくらいの恩恵を受けられている。ありがたい話だ。
要するに、「お金が足りない」と感じるのは富裕層に富が集まりすぎているからではない。
「お金が足りない」と感じる人が本当に必要なのは「お金」ではない。そもそもお腹いっぱいゴハンが食べられる日本において、お金が足りないかどうかの基準はじぶんで自由に設定できる。
だから本当に必要なのは、「じふんの人生に対する期待値を上げすぎない」こと。
現代人はSNSで他人の私生活を覗き見ることができるので、他人の生活と比較しがちな人は無駄に期待値を上げてしまいがち。
もちろん、強い動機や覚悟もあって期待値を高くしてガンガン行動するのは側から見てオモシロイなーっておもうし、応援したくなる。
プロサッカー選手×経営者×慈善活動家の、本田圭佑さんは、周りがビビるような目標を掲げるけど、彼は動機も覚悟もビビるほど強いからビビるような目標も達成していき、その生き方に多くの人が感動し応援したくなる。
でも、ほとんどの人は他人のSNSをみて無駄に羨ましがって無駄に期待値を上げてしまったり、特に価値のわからないブランドものを買ったりする。その程度でしかない。
本当にじぶんが欲しているのは何なのか、それを知ることが1番大事なんじゃないかとおもう。
ぼくは、格差は問題でないどころか存在して当たり前だとおもっている。
人それぞれ異なった生き方をするなかで、世界を平等に設計するのは不可能であり、差があるのは当然の話である。
今のグローバル社会において、格差をなくそうとおもえば、第三次世界大戦を起こすか、世界恐慌を起こして世界を平坦にするしかない。恐ろしすぎ。「格差をなくす」なんて軽く口にしていいものではない。歴史を見ればわかる。
「格差」というものは、何かと何かを比較して始めて存在するかどうかを認識するものだから、あって当たり前である。
要するに、格差問題はポピュリズムを生み出すためのダミーでしかない。根本の問題から目を背けさせられているだけである。
裕福な人間の足を引きずり下ろしても貧乏人は裕福にはならない。問題はそこじゃない。