最近日本中で「人手不足」という言葉を聞く。少子化で人の手が足らない、経済が回らない、みたいな話。
果たして本当にそうなのだろうか?というところを今日は書いていく。
いまの時代において「人手不足」ほど漠然としすぎて意味をもたない言葉はないとおもう。
こういう話は「雇われるひと」が不足していることを前提にして考えてみると、本当に不足しているのは次の要素を兼ね備えた人だとおもわれる。
毎朝ちゃんと起きられる
該当する技能を持ち合わせている
他人とコミュニケーションがとれる
会社の理念に共感する
ほかにもあるかもしれないが、これら全てをクリアする人が現れて初めて「雇われるひと」を確保することができる。
要するに、「人の手」が足らないのではなく「最低限の要素を兼ね備えた人の手」が足らないのである。
「人手不足」系の話でよく挙がるのは「少子化」問題だ。
でも少子化は根本問題ではない。
なんでかというと、さっき説明した「最低限の要素を兼ね備え」ることの難易度はどんどん上がっているからである。人間がたくさんいれば解決する問題ではない。
難易度が上がっている理由として大きく4つ挙げる。
1つ目は、雇われずに生きていく選択肢が増えたことで多くの人ががんばって「最低限の要素を兼ね備え」ようとしなくなってきていることが挙げられる。
やりたいことや成し遂げたいことがない限り、いろんなことを我慢して雇われたいとはおもわなくなっている。
2つ目は、「人間でないとできない仕事」をするうえで必要な技能が高度化していることが挙げられる。
人間の仕事の大半が農業だった時代は必要とされる技能レベルは高くなかった。なので人手はかなり重要だった。しかし、技術が進み産業が複雑化したことで、技能を活かせる人の割合は確実に低くなり続けている。根本問題は人手の数ではない。
3つ目は、会社に「帰属感」を求める人が減っていることが挙げられる。
インターネット革命をきっかけにネットワークが強くなり続けているので、多くの人はわざわざ会社に所属感を欲しなくなっている。じぶんが好きな人と好きなだけ過ごすことができるコミュニティを自力でつくることができるようになっているからだ。
4つ目は、「会社の理念に共感」し続けることが難しいことが挙げられる。
これもまたインターホン革命で「情報の民主化」が起こり、じぶんがなにを信じるかを選ぶ自由度がかなり高くなったことが大きい。しかも、強固になったネットワークのおかげで世の中の変わるスピードが爆上がりし、同じ考えを持ち続けること自体が難しくなっている。
という感じで、「最低限の要素を兼ね備え」ることの難易度が上がっている原因をざっと挙げてみたが、これら4つとも「少子化」の話は1ミリも関連していない。「少子化のせいで人手不足」はウソで、そもそも「人手不足」という言葉がウソである。
という感じで、ニュースとかみてて思ったことを思ったまま書いてみた。だれも得しないけど書きたくなったので。以上です。おわり。