ノイシュヴァンシュタイン城は、19世紀のバイエルン国王ルートヴィヒ2世によって建設された城です。
中世騎士道に憧れたルートヴィヒ2世が自分だけの城を作りたいという願いを込め造られ、今でも歴史的建造物として親しまれています。
Schloss Neuschwanstein(シュロス ノイシュヴァンシュタイン)
ドイツ語の“城”を日本語にすると、「Burg(ブルク)」と「Schloss(シュロス)」が出てきます。
本来お城は、敵の侵攻を防ぐ目的で作られていしました。
時が経つに連れて、政治的な政をする場であったり、装飾を施し居住する意図を持って作られる城も現れます。
ブルクは敵の侵攻を防ぐための城として、シュロスは王族が居住するための城として定着していきました。
ノイシュヴァンシュタイン城はシュロスに分類されるため、正式にはSchloss Neuschwansteinと言う名がつけられています。
未完成のお城
現在では有名な観光スポットとして知られるお城ですが、見学できるのは4階と5階のみ。
というのもこのお城の建造中に城主のルートヴィヒ2世が死んでしまったため、今でも未完成のままだそうです。
内部はほとんど撮影禁止で、唯一バルコニーからの撮影が許されるのみだそうです。
そのバルコニーからの眺めは、幼少期を過ごしたホーエンシュヴァンガウ城を見下ろすことができるそうです。
ビスマルクの資金援助
プロイセン王国がドイツ統一を成し遂げることになった普仏戦争。
プロイセン宰相のビスマルクは、プロイセン主導によるドイツの統一に反対するルートヴィヒ2世に資金援助をし、このノイシュヴァンシュタイン城や他リンダーホーフ城やヘレンキームゼー城の建設費用に当てるよう言ったそうです。
当時普墺戦争の賠償金などもかさみ、財政難だったバイエルン王国にとってはまたとない提案でした。
最終的にバイエルン王ルートヴィヒ2世もプロイセン主導のドイツ統一に賛成。
普仏戦争ではプロイセンと手を取り、フランスなど周辺諸邦と戦い勝利しました。
ビスマルクとルートヴィヒ2世
この二人の関係はビスマルク編の6話目に載っています。
プロイセン王国と敵対していた南ドイツ諸国(諸邦)が団結し、対フランスに向けて動きだすところら辺です。↓