いつも生意気なタイトルで恐縮です。
さて、自称“文系の評価経済研究家”であるワタクシ。
今日は、そんな立場からタイトルのようなことをご説明してみたいと思います。
「釈迦に説法かもしれません。」
どうか頭の整理のためにスルリと読み流してみてください。
この話題に入る際に特に留意すべき点があります。
それは言葉の定義、つまり語義ってヤツです。
なぜなら評価経済とは資本主義のアップデートであるという前提があります。
しかも評価経済には学術的に統一の用語がまだ備わっていません。
素人やインフルエンサーが「ああでもねえ、こうでもねえ。」言ってる世界です。
だから論旨のすり替えも話術で簡単に出来ちゃいます。じゃ、そろそろいいっすか?
あ~・ゆ~レディ?じゃ、レッツ・ゴー!
先ずは資本主義における労働と報酬について考えてみるとしますか?
じゃ、ワタクシの冒頭のタイトルを、もいっちょ見直してみてください。
「労働」?いえいえ、ちゃんと「労働等」ってなってるでしょ。
そうなんです。
評価経済社会では、「労働」とその対極にある「遊び」の境界があいまいになります。
ここでいう労働とは、現在の資本主義で多くの人が従事する次のような活動です。
・組織などに雇われてることが多い。
・上役のためにご奉仕活動。
・単調で創造性の低いものが多くてしんどい。
・時間・空間において強制性がある(満員電車、社畜やね。)。
・金太郎飴的な人間が向いている(個性があったら、逆に困るし)。
・ストレスである。
ま、ここでいう「遊び」とはその対極に位置しますので、敢えて説明はしません。
で、ここではこの旧来の労働と遊びまでの範囲を一括し「従事」と呼ばせて貰います。
で、次に報酬についてもいってみますかね。
資本主義社会では、報酬はわかりやすく言うと「お金」のことです。
そしてさらには「法定通貨」のことです。
ちなみに評価経済社会でこの対極に台頭してくるのは、違う意味での”報酬“です。
で、なんちゅうは、それはもっと“ココロの報酬”みたいな怪しいモノです。
ちなみに経済学では既に法定通貨からココロの報酬までを表す用語がありました。
だから「従事」と「効用」を使えば、多くの経済理論は評価経済でも転用できます。
で、以上を理解していただいた上で、やっと本題です。
評価経済社会からみると労働(等)は次の3つに大別されることになるでしょう。
【タイプA】~現在の資本主義型の「労働×法定通貨」の組み合わせ
評価経済社会になっても、このタイプの人はなくならないでしょう。
ただレジ打ち作業や警備員などを筆頭に、次々AIやロボットと競合します。
単調な作業そのものから他者に感動を与えるのは容易ではありません。
よってココロの報酬も得られにくいと思われます。
【タイプB】~評価経済型の「やや遊び寄りの従事×効用」の組み合わせ
これからの私たちに“生き方の民族大移動“が指向されてるスタイルです。
組織を離れ、ギグエコノミーやら創造的なコンテンツやらで糧を得ます。
AIやロボットで代用できない分野に特に成長性が見込まれます。
今や有り余る法定通貨では地球上のモノは全て買い尽くされてしまいました。
だから、バーチャルな空間で活動した方が競合が起きにくくなります。
じゃ、獲得した効用はどうするか?
そうです、生きていために必要な分(食糧等)だけを法定通貨に置換(両替)します。
ですが、実は、効用にはそれ自体に効用を増大させる力もあります。
だから、敢えて必要以上を法定通貨に置換するのは得策ではなくなります。
(※ この点は機会があれば後日、私見を展開してみませう。)
現在は、社会実装の試験中ですが、ALISこそがまさにこの形態です。
ちなみにこの活動で、次のような奇妙な体験をした人はいませんか?
日中、アナタはタイプAに従事して安定したいつも通りの1万円を稼いだとします。
でも、ある日、タイプBに従事した結果、やっとアナタは効用を獲得します。
ちなみにそれは法定通貨換算では100円相当だったとします。
さてさて、その時、アナタのココロの満足は、本当に100分の1だったでしょうか。
きっと違いますよね。時としてタイプBの効用がタイプAの効用に勝ることさえあります。
ここでは「法定通貨=価値の尺度」であるべきという本来の役割が機能していません。
これが法定通貨の限界です。
【タイプC】~バズり型の「かなり遊び寄りの従事×効用増殖」の組み合わせ
これはタイプBの負の側面、あるいは行き過ぎたタイプです。
俗にいうバズるという表現が適当です。
つまり本人の初期の僅かな労力に対し、いたずらに価値が極大化しちゃうことです。
このように一部が極端に成功すると社会全体の効用が減少することがあります。
経済学ではこれを「外部不経済」と呼びます。
一方で、これは体験をした人には征服感にも似たアドレナリン作用があります。
ちょうど競馬で万馬券が出るようなものんですね(出たことないけど)。
でも、競馬の成功体験の中毒性と同様に本人の効用は麻痺してきます。
現在のところのALISとYoutubeとの違いは、ここにあるような気がします。
ようつべでは、バズった動画によりチャンネル登録者が激増する現象があります。
逆にそれが魅力というか参加者を誘い出す一因になっているのも事実です。
・・・と、自己満足に浸り、今日のトコは以上にしておきます。
あの本の真偽はよくわかりません。でも純粋に面白い。
そして、いつしか著者・佐藤 航陽さんの根本思考が私の頭の中に乗り移ってました。