どうもメカメカです!
みんな元気しとるか―!(*'ω'*)
さて、今日は仮想通貨が生まれ新しい世界が生まれようとしているってことで、それまでの日本の歴史を勉強していこうと思うメカ。
現代は飽食の時代と言われ、メカたちは悪くない時代に生まれたようだメカ。
精神性も悪くないメカ。過去の殺人件数から現代の殺人件数を比較するとドンドン減少傾向にあるメカ。
現代の社会的問題は豊かな時代の反動とも呼べると思うメカ。
例えば社会的問題はブラック企業の存在や自殺率の高さがあげられるメカ。
豊かになってしまったからこそ起こってしまった問題だメカ。
さて、それじゃあ現代以前の日本はどんな生活を行っていたのか?
それまでの歴史や、起こった問題、使っていたお金はどうなっていたのか?をざっくりまとめるメカよ!
豊臣秀吉が天下を統一してから数年。
江戸時代は1603年に徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を樹立してから1868年に江戸城が明治政府軍に明け渡されるまでの265年間にわたります。
非常に長きにわたる江戸時代は時代ごとに前期・中期・後期に分けられるが今回は貨幣制度が浸透していた中期から後期を参考にします。
ー流通していたお金ー
徳川家康が貨幣制度統一に乗り出した時代です。
地方に浸透するまで100年ほどかかっています。
金・銀・銅からなるお金でザックリとしたレートはあったようですが、毎日変動していたようです。
全国で200種類もの藩札が流通していた。
また藩紙と呼ばれる地域通貨も流通し、各地域によって種類が分かれていたようです。
すかしがはいっているものもあり、現代顔負けのニセ札防止が行われているものもあります。
ー生活・暮らしぶりー
江戸の暮らしは決して裕福とは言えないものだったようです。
特に人が密集する江戸では特に貧しく、栄養失調による脚気や、疫病の流行で若くして死ぬ者や、体の成長が満足にいってない人等が遺骨から分析されています。
江戸っ子は宵越しの金を持たないではなく持てなかったそうです。
農民に関しては諸説あり、年貢として収める分を過少報告し、自分たちの食べる分を確保していたので都市部よりも食には困っていなかったといった話があります。
ー起こっていた問題ー
デフレーション(米価格下落)
貨幣経済が広がることで、最もポピュラーに取引する米はあらゆる物価の基準でした。
米の流通量確保のために幕府は年貢の増税や新田開発を行います。
その結果、米の市場での価格は下落を続けました。
給与の支払いを米でもらっていた武士階級は給与が下がり続ける事態に陥りました。
幕府は米の価格安定のために金融引き締め策(つまり米以外の節約令)を実施します。
米以外の品物の価格を下げて米価格の安定化を図ったわけです。
その結果、世帯収入が下がり、なおかつ値段が高いという負のスパイラルに陥ります。
また、米の買い占めによる米価格の高騰を図る役人が現れる等して、ブチぎれた民衆により百姓一揆や打ちこわしが起こります。
この流れが百年ほど継続。たまらんメカ。
鎖国
島原天草の乱から宗教戦争の火種を感じ取った幕府は諸外国の脅威から自国を守るために一部の例外を除いて諸外国との貿易を禁止しました。
長年海禁(鎖国とほぼ同じ)していた中国がアヘン戦争でイギリスに負けてから外国の動きが活発化。中国は開国を余儀なくされます。
ほどなくしてアメリカから使者が現れ、中国の敗北を知っていた幕府はビビって開国します。
これを機に討幕運動が過熱。坂本龍馬等がアヘンで儲けたジャーディン・マセソン商会の子会社グラバー商会から支援を受けて世論を巻き込み討幕に至ります。
開国後、国内の金銀が大量に流出し物価が高騰します。
これは国内外の金銀交換比が異なっていたことで金銀のアービトラージが流行っていたからです。
日本に銀を持ち込み金に交換し、海外で金から銀交換すれば差益で大儲けすることができました。
そのため国内の金(貨幣)が大量に国外流出し、通貨不足に陥ったためインフレになります。
1868年に明治天皇が即位し、1926年まで続く。外国の植民地化を免れるため、近代化を急いだ時代。尊王攘夷の元、ゴリゴリの中央集権化がすすめられた。
政府による新体制が敷かれ、産業革命がおこり暮らし大きく変わり始める。貨幣経済も非常に複雑に発達し始めた年代。
経済の知識を持つ人とそうでない人の差が如実に表れ始めた年代でもある。
ー流通していたお金ー
時代の変わり目でありそれは貨幣制度においても同様でした。当初は藩紙を使い続けるなど混乱したがほどなくして単位を両から円に統一します。
初めて国立銀行が誕生します。
また、伊藤博文らが外国の銀行を参考に金銀複本位制を取った紙幣制度を導入します。
金1.5gにたいして1円で交換できたようです。
印刷技術のレベルが低かったことから偽札が横行するなどの問題が出ました。
ちなみにこの銀行は国立だけど、私営銀行です。
当時、お金を持っていなかった明治政府は資産家に紙幣発行権を与える形で銀行の設立にこぎつけました。
また、設立順に1銀行、2銀行のようにナンバーが振られ、みずほや、105銀行、三菱UFJ等の前進となった銀行です。
ー生活・暮らしぶりー
日本では元来、食肉の文化があまり定着していませんでした。
その背景には仏教的教えがあり、狩猟で得た肉はオッケーでも家畜を食べることはタブー視されていたこと。
家畜用の穀物を生み出す生産力を持っていなかったことがあげられます。(家畜の飼育で家畜に与えるエネルギー量と得られるエネルギー量では得られるエネルギー量は穀物のほうが大きい)
西洋文化の流入により、牛や豚などの食肉が積極的に行われるようになりましたが明治時代でも肉の消費量より魚の消費量のほうが多かったのです。
海外からはまだその暮らしぶりは質素で服装にまで気を遣う余裕はないと評されましたが、電信、鉄道、ガス灯など産業技術の進歩と食文化が栄えることで暮らしぶりは江戸時代に比べかなり良くなりました。
ー起こっていた問題ー
インフレーション(不換紙幣の発行)
1868年から現在の2018年の間で150年間の間、円の価値は3000分の1まで下がりました。明治時代の1円は現在の3000円ほどの価値ということです。
1年あたり20倍のインフレ率、恐ろしいですね。
明治時代もインフレは起こり続けていたようです。
新政府と旧幕府との戊辰戦争における戦費調達のために早々から財政難になります。
グラバー商会から武器調達のために土地を持つ特権武士階級等の支配者層の資産(土地や米)を取り上げ、貨幣に変更する際に行われた今でいう日本の国債、金禄公債の発行(年数制限付きで金利がもらえる公債)をおこなって財源確保に走りました。
敵対する幕府軍はフランスの政府から支援を受けていました。
明治9年になると兌換硬貨と銀行券との交換の為に紙幣に見合うだけの兌換硬貨(金や銀)を用意することが出来なくなり、国立銀行条例は全部改正されました。これにより多くの国立銀行の設立と不換紙幣(金や銀との交換を保証しない紙幣)の発行が推進されるようになります。
その結果、市場では紙幣があまりはじめ、物価上昇を招きます。
諸外国でも円の価値はダダ下がりします。
金禄公債をもらった元武士階級もまさかインフレで金禄公債を手放さざるを得なくなるとは思いもよらなかったでしょう。
戦争に次ぐ戦争
坂本龍馬はフランス政府とイギリスのグラバー商会の意図に気付き、幕府軍に大政奉還(天皇に権威を返還する)させ政府と幕府の和解を探りますが、1867年あえなく暗殺され1868年に戊辰戦争が起こります。
文明開化とともに諸外国への軍事路線に舵を切った明治政府は日清戦争、日露戦争とともに勝利をおさめ諸外国の間で発言権を強めました。
その賠償額で明治30年の金本位制復活の足掛かりにし、日本円の国際的価値を高めます。
今日はこの辺で終わっておこうと思うメカ!
昭和から平成にかけてはまた時間のある時にまとめるメカ!!(*'ω'*)
歴史を見ると文明の成熟期には大きな転換が訪れているようだメカ。
それは経済システムの刷新であったり、いろいろだメカ。
しかし、いつの世も問題が大きく深刻になり慢性化したとき大きな変化がやってくるようだメカ。
今の世の中はどうなのか?問題は慢性化しつつあるメカ。
仮想通貨への転換期もそう遠くないかもしれないメカ・・・
Writer
MEAKMEKA