子どもたちが自由に活動しながらスポンジのように色々なことを吸収し、
目を輝かせて活動しているところに興味津々の日々。
その中で、宿題をしているところも一つ、私にとって非常に興味深い。
オンラインで指導している小学生から高校生までの子どもたちも、
本当に様々な境遇の子どもたちの成長に携われて、とても有難いし、
同時に、かなり分析的にその様子を見ている。
宿題にしても、受験にしても、それは“学び”というよりは、“勉強”。
今、異年齢の子どもたちと過ごしながら、“勉強”を見つめ直している。
子どもたちの中できっと、
授業の時間は勉強の時間だと思う。
算数や漢字練習、ひらがな練習をしていて、
小学1年生はため息をつきながら鉛筆を動かしている。
宿題をしながらグチグチ言っている小学4年生の女の子に、
『何の授業が一番いや?』
と聞いたら、
『道徳』
と返ってきた。
『どうして?』
と聞いたら、
『長い文章を書かないといけないし、読むのも長い。そんなに考えられない。』
と言っていた。
もはや、道徳ってなんなんだろう・・・状態だ。
それよりも、
この活動の中で、
自由奔放で我儘な小学1年生の男の子が、
口が悪くて喧嘩になったり、自分勝手に動いたりする場面で、
その女の子が、
『もう少し言い方を考えた方良いよ』
と言ったり、
その子自身が全体を見て行動したりしている、
まさにそれこそが、自分の血肉となる道徳的な学びなんじゃないかと思う。
大人があれこれ準備しなくても、
多様な子どもたちの関りの中に学びは溢れている。
しかもそれは、
大人が準備したものには到底再現することのできないものだと思う。
道徳を教えるから、
道徳心が育たないのではないか、
なんて感じさせられたエピソードだった。
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2019.7.13.
高校を退職して,共に時間を過ごすことが増えたのが,
縁あってほとんどが小学生。
高校生とずっと共にいた私にとってはとても新鮮な時間。
高校生に“道徳”はない。
小学生にとっての“道徳”が,
子どもたちにとってどんな印象なのかとても気になっていた矢先の出来事だった。