10歳の時。
今住んでいる町屋に
引っ越す事になった。
おばあちゃんが年老いて
1人じゃ普段の生活が困難になり
一緒に暮らして負担を減らす事が
目的だった。
この時おばあちゃんは
1人暮らしが長くて
誰かと一緒に暮らすのが
ストレスで嫌だと言っていた。
しかし
おばあちゃんの為に
1階が親戚の人が経営する会社にし
2階部分を民家にする一軒家を立てると言う。
そこに我々家族を引っ越させて
おばあちゃんと一緒に暮らせと言うのだ。
でも我々家族は
猛烈にこの条件を嫌がった。
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ここに引っ越して
おばあちゃんと一緒に暮らせば
会社の2階なので
父親の出勤時間が無くなる。
でも我々兄弟は
転校しなければならない。
しかも
おばあちゃんの子供の
長男夫婦の所に住む訳でもなかった。
この件を押し付けられたのは
1番下の妹である母親の所だ。
それも納得いかない。
親戚一同全員
ここに引っ越して
子供を転校させるのを嫌がり
我々にこの件を押し付けていた。
俺は
この話し合いの時
子供なので何も言わなかった。
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俺は
相変わらずの
この親戚共の変人っぷりに
凄くイラついてた。
しかし
こんな変人共におばあちゃんを任せるなら
我々家族と一緒に暮らした方が良い気もした。
そして母親と父親は
親戚達の説得に押し切られて
我々家族が引っ越す事になった。
引っ越し先として購入した家は
築50年の民家。
ここを改装して
住めるようにするらしい。
もちろんお金は
親戚が経営している会社負担。
おばあちゃんの説得は
親戚の人がする事になった。
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おばあちゃんは
物凄く頑固者で
誰かと一緒に暮らすなど
テコでも動かないだろう。
でも
そのおばあちゃんを説得して
我々と暮らすようにした。
恐らく
嫌がるおばあちゃんの気持ちを無視し
強制的に事を進めたんじゃなかろうか?
そんな非常事態のまま
おばあちゃんと一緒に暮らす準備が
着々と進められていった。
しかし個人的には
大好きなお婆ちゃんと住める事になり
内心嬉しかった。
当時通っていた三郷の立花小学校で俺は
既に社会不適合者で
完全にクラスの中で異質な存在だった。
そんな事もあり
今の小学校から
とっとと消えていなくなりたかった。
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新しい家が完成するまでの間
完成具合を1週間ごとに
車で見学に行っていた。
最初の頃は
車で三郷から町屋まで行くと
1時間かかっていた。
でも
次第にこの時間が短縮されていき
とうとう40分で到着できるようになる。
どうも裏道を通っていたようだが
どんな道だったのか覚えていない。
俺が今
車で町屋から三郷まで行くと
1時間以上かかる。
いったいどういうルートで行ってたのか
今でも謎に包まれてる。
当時のルートは
まるで異空間を通ったかの様な速さで
到着できていた。
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町屋の家は
まだまだ骨組みが
むき出しになっている。
どうやら
改装じゃなくて
完全に立て替えているらしい。
そりゃ築50年じゃ
骨組みから変えないと
家がつぶれてしまうだろう。
それは
10歳の俺でも50年という歳月の長さは
理解できていた。
全体的な家の広さは
3LDKで
ちょっと狭い。
我々家族4人と
お婆ちゃんの5人で暮らすには
部屋数が
物理的に足りないような気がした。
しかし
この家の狭さの解決策は
きちんと考えられてあった。
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家族の部屋の割り振りは
母親と父親が同じ部屋
俺と弟も同じ部屋
残った1部屋がお婆ちゃんの部屋になる。
こうして部屋を分けられ
この家に住むみたいだ。
そして家が完成した。
その家は
思った以上に綺麗で
新築そのものだった。
更に建設中は
確認できなかった
凄く大きなベランダまである。
そのベランダは
10畳位あり
何だかそこだけ広くて豪華だ。
当時まだ
周りに何も高い建物が無く
夜空も綺麗で俺は
超ご満悦になれた。
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そして
引っ越し日前の最後の登校日。
みんなで俺の
お別れ会をやってくれた。
この時やったのは
サッカーだった。
俺をフォワードにしてくれて
みんなでボールを俺に回してくれる。
でもヘッポコすぎて
ドリブルすら出来ない。
しかし
みんな容赦なく
俺からボールを取っていく。
結局俺は
1点も入れられず終わってしまい
「みんなもっと手加減しろよ」
と思った。
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学校が終わり下校する時
全員と握手をしてお別れをした。
この時全員からかけられた言葉は
「意固地にならず友達作れよ」と
言われてしまう。
この時俺は
みんなが何を言っているのか
よく解らなかった。
多分
無意識でそんな態度をとっていたから
みんなから嫌われていたのだろう。
この時点で
この事に気が付けなかったから
次に行く新しい学校でも
社会不適合者確定だ。
そして俺は
めでたくみんなに嫌われたまま
未練なく
この立花小学校を去っていった。
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帰宅後
クラスの子たち数人が
最後に俺とドッチボールをやろうと
誘ってくれた。
そして俺は
その子達と日が暮れるまで
ドッチボールをして遊んだ。
翌日
引っ越しのトラックが来て
業者が一気にトラックに荷物を運びこむ。
その作業は
とてつもなく早く
2時間位で終わらせてしまった。
俺は
この早さに思わず感動してしまう。
「これがプロの仕事なのか!」
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我々家族は
車でトラックの後ろについていった。
最後に
立花小学校の前を通ってくれて
みんなの様子を見せてくれた。
そこには
体育の授業をやっていて
みんなでドッチボールをしている。
全員凄く楽しそうで
少しうらやましくなった。
でも
今更悔いてもどうにもならない。
俺は
「自分など糞くらえだ」と思い
もう考えるのをやめ
そのまま寝てしまった。