4歳の時。
幼稚園でお遊戯会というのがあった。
この時の出し物は「北風と太陽」
俺は、太陽の役ではなく、太陽の熱の役だった。
物語の内容は。
ある時、北風と太陽が力くらべをしようとした。
そこで、どちらが旅人の上着を脱がせられるか?
という勝負をすことになった。
最初、北風が力いっぱい吹き、旅人の上着を吹き飛ばして脱がそうとする。
でも旅人は、風が寒くて上着をガッシリ押さえてしまった。
そして、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。
次に、太陽が猛烈に旅人を照りつけた。
すると旅人は暑くて耐え切れず、自分から上着を脱いでしまった。
これで、勝負は太陽の勝ちとなった。
という、物語。
俺は、太陽の熱という脇役だった。
このお遊戯をする為、衣装を用意しなくてはならかった。
その衣装は、幼稚園が生地を用意してくれたが、作れる先生が居なかった。
ここで普通、外注に頼む。
でも、この幼稚園は、保護者に作ってもらおうと募集を募った。
でも、こんな面倒くさい事に誰も手を上げなかった。
そこで先生は、裁縫が出来る人に頼む事にした。
どうやら幼稚園は、経費を節約したかったらしい。
この事は、母親がママ友と愚痴を言い合っていたので分かった。
その裁縫が出来る制作者の候補が何名か上がった。
そして、その人達に分担で作ってもらう事に決定した。
その中に俺の母親もいた。
俺の母親は、炎の熱役の人数の半分担当した。
炎の熱役は、全員で5人。
母親が作ったのは、炎の熱役3人分だった。
残りの2人分は、別の人が作った。
そして完成して、幼稚園に持って行ったら大変な事態になってしまった。
炎の熱役の衣装が母親が作った物と、別の人が作った物が全く違っていた。
どうやら、先生は打ち合わせをせずに、デザインはお任せにしたらしい。
今思えば当時の文化は、確かにこんな感じで適当な事ばかりだったよ。
会社の見積書も、どんぶり勘定が当たり前で通っていた時代だ。
幼稚園の先生は、特に衣装が全く違うことを問題視しなかった。
それ処か、かなり衣装を作った人たちを褒めていた。
俺は、猛烈な違和感を覚えた。
でも、先生がこれで行こうというので結局2種類の炎の熱役が誕生した。
写真は、昔の物過ぎて探す事が出来なかった。
当日、炎の熱役の俺は、母親が作ってきた方の衣装を着てお遊戯をした。
最初、風役の子たちが5人舞台に出て来た。
そうしたら、風役の子たちの衣装は全員違う。
俺は、これもしかしたら、5人の母親が別々に作ったのでは?
という疑念が襲ってきた。
母親たちの話を聞くと、案の定その通りだった。
そして俺の太陽の熱役の番が来て、俺の役は一瞬で終わってしまった。
恐らく、1分も舞台に立っていないかもしれない。
その後お遊戯会が無事に終わって、お弁当の時間になった。
ここで、母親達と先生が何やら暗躍している話し声が聞こえた。
この衣装は取っておいて、また来年使いましょうと。
俺は、この話を聞いて驚いた。
炎の熱役の衣装と風役の衣装は、1人1人別物なのに使い回しするんだ!と。
今思えば、古き良き時代の文化だ。