中村元『龍樹』と立川武蔵『空の思想史』を読んだ影響で(後者はまだ読んでる最中ですが)、「よし! 般若心経でも憶えたるか。暇だし」と思い立ち、取り敢えず一通り憶えたので「次は音声を聴いてフシを憶えよう」と般若心経動画を二、三再生してみたんですが、どうにも引っかかることが。
般若心経って〈一字二拍〉が大原則らしく、漢字一字で読みが一音の場合は長音で伸ばして二拍にし、読みが二音以上のときは二拍で読む(波羅蜜多→はらみった。音は一、一、二、一なので、誦し方は「はーらーみったー」となる)のですが……。
終盤の二箇所だけこの原則に反しているところがあるのですよ。
1「波羅僧羯諦」→はらそうぎゃてい。原則に従えば「はーらーそうぎゃーてい」となるはずなのに、「はらそうぎゃーてい」と【波羅】を一拍で読ませている。直前の「波羅羯諦」が原則通り「はーらーぎゃーてい」という読みなので、相違が一層際立つ。
2「菩提薩婆訶」→ぼうじそわか。原則に従えば「ぼうじーそーわーかー」のはずが、「ぼうじーそわかー」と【薩婆】を一拍で読ませている。
「般若心経 音声」でググって出てきた三つの動画は全部同じ誦し方をしているので、恐らくこの読みで間違いはないのでしょう。宗派も曹洞宗、真言宗、宗派不明とまちまちなので、宗派による違いという線も消えるわけで。
まあ終盤の「羯諦羯諦」以降は意味とか考えずにそのまま音読してちょ、という箇所なので深い意味はないのでしょうかねえ……。