

青空文庫。
新着分にあった『道教思想』を読書メーターに登録しようとしたら『道教に就いて』しかなく、それならばと両方読んでみた。
なお掲載は後者のほうが三年ほど早い模様。
露伴は近い時期に記されたこの二編の中で、宗教としての「道教」が、本来の「道家」や「神僊(仙)」の教えをいわば簒奪し、装飾として取り込んでいった歴史を鋭く分析している。
どちらにも張魯や于吉、張角の名が見え、さながら三国志の異聞のよう。
〈道教〻徒の方から云つても、道家と道教とは別であるのであり、關係があるとしても老子などは小僧ッ子であるのである〉
〈仙人の事迹は多く荒唐で雲烟糢糊であるが、老子は立派な履歴も著述もある人だから、之を仙人とすれば最も人の崇信を惹くべきであり、此頃は既に漸く本尊くさくなつて來たものと見える〉
〈魯は死して、子の富が嗣ぎ、富より後連綿として長く/\榮え、魏や蜀どころでは無い、唐・宋・元・明・清を經て今に至り、國家主權者の姓は幾度か易り革まつたが、中頃信州龍虎山に移つたのみで、恰も我邦の本願寺の如く、道教本山として無二の地を占めてゐる。これが道教の大本たる正一派の成立期の事情である〉
なお、生成AIに二篇を読ませたら勝手に感想を書いてきた(!)ので併記。
【二篇を通読してまず驚くのは、露伴の圧倒的な読書量と文献批判の冴えである。『漢書』芸文志から『霊宝無量度人上品妙経』『抱朴子』『雲笈七籤』に至るまで、一次資料を縦横に引用しながら、「これは後世の偽作」「これは接触作用の所産」とバッサリ斬っていく手際は、小説家の片手間仕事どころか、本格的な思想史研究そのものだ。特に『道教に就いて』における「道家・神仙家・道教は別物」という三点分解は、百年近く前の論考でありながら今なお有効な視座である。旧字旧仮名の文体に最初は戸惑うが、読み進めるうちにむしろその格調の高さが心地よくなってくる。道教という茫漠とした対象に「淡然たる心」で臨みながら、決して逃げずに核心へと肉迫していく露伴の姿勢には、学問の理想形を見る思いがした】
……俺の感想よりしっかり書けてるなおい!











