昨日の続きです。
私は、『集落』とでも呼ぶべき『ド田舎』で幼少期を過ごした。
お隣さんのおうちは500メートル先。
自宅の周りは藪で、その辺にあるアケビやクワの実・ヤマブドウをおやつに、適当に遊んでいた。
もはや、自給自足を通り越して採集生活をしており、栗や山菜を採っては、みずから下ごしらえをして食べていた。
幼なじみの家でもある近所のお惣菜屋さんでは、割り箸を袋に入れたり、仕出し弁当に輪ゴムをかけるお手伝いをした。
単にお手伝いが楽しかっただけで、むしろご迷惑だったかもしれない。
当然そのためにやっていたわけではないけど、売れ残ったポテトサラダやからあげを、いつも頂いてしまっていた。
繁忙期は果樹園の花粉交配(果樹の中には昆虫が花粉を媒介してくれない品種もある。また、確実に実をならせるためにも人の手で花粉を花に直接付ける仕事がある)に行く。
夏には、家庭菜園でナスとトマトがくさるほど採れる。
油断すると本当に腐ってくるから、しなびてきたナス、グジュグジュしてきたトマトだけを拾って、悪いところをとって、片っ端から刻む。
ツナ缶と醤油、大量のすりおろしにんにくを入れ、『ナスとトマトの和風パスタソース』なるものを大量に作るのが、高校生の時の休日の仕事だった。
その後、きれいなところだけ拾い出して、急いでご近所さんに分けに行く。
そして、「本当に30代?!」と言われてしまうことが多い話だが、友達のおばあちゃんが夕飯のためにニワトリの首を素手でへし折っているところも、ちょくちょく目撃していた…!
果樹園にクマが出没すると、小学校では、注意喚起のおたよりが配られる。
そうすると、学区内にただひとつの駄菓子屋さんの、大小の鈴が当たるくじが完売する。
クマは、いきなり鉢合わせすると人を襲ってくるが、あらかじめ人の気配を察知すれば、だいたいあちらから避けるので、鈴をランドセルにつけて登校するわけだ。
数日経つと、クマと相撲をして勝ったという、どこまで本当かわからない伝説を持つマタギのおじさんが、クマを鍋にしてふるまってくれるので、若干複雑な気持ちになる。
そんな環境で育ったので、気づかないうちに、何かお手伝いをしてお礼を頂くことや、仕事が直接食事に反映されることに、慣れていたのかもしれない。
ある意味、資源が豊かで、今より貧富の差がない(『国民総中流』と言われていたような)時代だったと思うので、単純に比較はできないかもしれないが。
でも、そのことを踏まえ、『ブロック』を外す方法のひとつになり得ると思ったことがある。
自分で受注した仕事で報酬を頂くことに、なんとなく不安がある(ブロックがある)場合、時給・雇用の概念に合わない仕事の手伝いを、近場でさせてもらうと良いかも、と。
農家さんの繁忙期の助っ人が、特に良さそうだと思う。
大人と子供が皆で手分けして、できる作業をできる人がやり、仕事の後には美味しいご飯を頂く。
そうすると、時給・雇用の概念の外でも、わりといろいろ成立する感覚を体験できる。
もっと気軽にできそうなものとしては、例えば、短期間で収穫できる野菜(豆苗やベビーリーフのような)の栽培、タケノコ掘り、知人の引越し、フリーマーケット、裁縫や DIY。
普通に、普段の家事や親戚の子供の世話でもいいと思う。
意識して見ると、時給・雇用の概念に合わない仕事は、身近にたくさんあるはずだ。
※画像は何度でもよみがえる豆苗…。
※リボベジ(野菜の切れ端の水栽培)で浮く食費が、そこそこばかにならないし、楽しくてハマる。
もちろん、全員がそういう働き方を経験すべき、そして、生活のすべてをそうすべきということではない。
でも、額面だけでは計れない価値を享受する経験を一度できると、大げさかもしれないが、健康さえあれば意外となんとかなりそう、と、本当に思えてくるのだ。
自分のスキル・時間を切り売りしてお金をもらうことに抵抗がある方に、将来のお金のことが怖くて今の生活も緊張しがちな方に、ぜひ、ちょっと試してみてほしい。