※スライドは『ゆっくり、いそげ』(影山 知明・著)を参考に、昔、あるプレゼンのためにつくったものです。
クラウドファンディングやプロセスエコノミーが怖い。
「応援したいのなら、その人の商材を適正価格で購入すれば良いだけでは」と思うことがよくある。
実際、自身の属性や活動・商売と親和性があるという理由で応援する場合があるから、出資者にとって直接役立つ商材を、主催者が販売していたり、交渉次第で販売できたりすることは少なくない。
なのに、何故、クラファンにお金を出すことの方を選ぶのだろう。
クラファンで集まった資金を、その主催者が妥当な用途に使ったとしても、理解という手続きをクリアできなければ、「だまされた」と言われて、最悪炎上するリスクがある。
『共感』に出資した不特定多数の他者、コントロール不能な存在の心象やジャッジで、『被害者意識』という名の負債へと、突然暴落しうる資産だと思ってしまう。
前提として、主催者は、解決したい課題について充分理解している人間だとする。
そして、分かっている人から見れば、妥当な事業計画を立て、実行する手腕もある人だとする。
そこに、最終的なビジョン・達成目標に魅了された人々が、必ずしも深く理解せずに、飛び付く。
でも、実際に事業が動き出したら、最初に提示した計画通りに行くことの方が珍しい。
最終目標が変わらなくても、時間やお金を投資する優先順位が変わり、短期的には出資者に対して不義理を働いていたり、約束を破っているように見えることは往々にしてあると思う。
そうすると、その課題について必ずしも分かっているとはかぎらない出資者に対し、説明責任が生じる。
分かる人から見ると相応な理由でプロジェクトが頓挫したとしても、売った『希望』と『共感』が大きいほど、そして、最初に提示した課題が生活に即した切実なものであるほど、袋だたきに遭う可能性が高まる。
怖い。
タダより高いものはない、普通に銀行や家族から借金したり、補助金を取るのではダメなのかと、「クラファンをしたい」と聞くたびに止めてしまう。
これは、私の性格や能力、問題解決における得意・不得意によるもので、クラファンができる人にとっては、そんなリスクは対処可能なものなのかもしれない。
想定されるリスクが当人にとって対処可能と見込めるのであれば、行動に出るのは当たり前だから。
または、お金より、活動のPR・社会を熱狂させることによって、機運の醸成に寄与することが主たる目的なのかもしれない。
この話を知人にした。
知人は「今の日本で一番売れるのは『希望』なんだと思う」と言った。
だから、高額の情報商材やオンラインサロンが売れる。
NFTにも夢中になる。
当然、どれもすべてが嘘ではない。
ただ、価格に見合う中身がないもので釣って、搾取までする人は一定数いる。
無自覚的でも、結果としてそうなってしまうこともある。
だけど、希望がなければ何もできない。
『多くの人が触れる希望』『生活の足しになる希望』を、体系化できる人にやっぱりなりたい。