
かつて友人とハイボール片手に「メンヘラの定義」を定めたことがある。結論からいうとメンヘラとは自分の存在意義を彼氏(や他人からの評価)に依存する女性や稀に男性のことを指すと考えている。自己評価が低く、彼氏が自分を認めてくれていることを糧として生きているのだ。従って、彼氏が自分以外を評価するもんが恐ろしく極度の束縛を厭うことなく、自分がどれだけ評価されているのかわからないから無理難題を押し付けたりするのだ。
メンヘラから脱却したいのであれば、誰かに依存するのをやめて自立し、かつ自身を高く評価できるようになるしかない。
どうすれば他者依存から脱却し、自立できるのか。
それよりまず「自立」とは一体なんなのかーーーー。
「自立とは、依存先を無限大に増やすこと」これが答えだと思っている。第3の人や機関1つだけに依存するのではなく、その依存先を断ち切るのではなく、最大化するのだ。一見矛盾しているように思えるこの主張は、実はどんな例をとって見ても当てはまる。
例えば「私が社会人になって経済的に自立する」例をとってみよう。経済的に自立するとは、私の家庭レベルでみると確かに実家からの経済援助は不要になり、会社からの給与のみで生活できるようになるので達成できてるように思える。しかし、社会レベルでみるとどうだろう。わたしは依存先を家庭から会社へ移し替えただけで一つの組織に経済的な援助を依存している。もし金融ショックがまた起こればクビを切られ、路頭に迷う可能性は拭えない。真に経済的に自立するとは、収入源が複数ある、または収入元の取引先を簡単に切り替えできること、ではないだろうか。カツセマサヒコさんはどこに行っても文章力で食べて行くだろうし、田端さんはLINEをやめたらさっさとスタートトゥデイ社に行ってしまった。彼らは自分の信用が担保されている限り食に困らないだろう。真に経済的に自立するとはこのような例をいう。
さて、恋愛において自立するとはどういうことなのだろうか。その答えはモテることだ。自分の魅力をわかってもらえる人を増やすのだ。逆を言うと、誰からでも魅力的だと思われるように自分を変革するのだ。
勘違いしないでほしい。自立とは依存先を最大化する言ったが、私は決して浮気を進めているのではない。浮気は絶対に後ろめたく思う気持ちがつきまとい、結果的に自己評価を下げるためメンヘラのままだ。そして何より浮気する奴は他人の気持ちを踏みにじるだけの屑だから嫌いだ。
誠実に誰か一人と向き合いつつも、自分を磨くことを忘れないことだ。自分価 値を高め続けるのだ。もし今の恋人と不幸な結末を迎えてしまっても、誰か他にいい人が現れる確率を高めるために自分磨きを忘れない。自分の価値の高め方は色々ある。外見を変えるのでもいい。例えば服装に気を使ってみるのもいいし、整形することも手段のうちだ。中身を変えるのアリだ。色気については他の記事を出したいのが、色気とは内面からにじみ出る魅力のことだ。教養を身につけるのもいい。優しさを磨くのでもいい。エスコートテクを習得するのもいい。方法は様々だ。いたって当たり前のことなのだが、一般的なモテるためのテクニックだ。そこについては参考文献はゴマンと存在するからそちらを参照して欲しい。さしあたっては藤沢数希さんの「僕は愛を証明しようと思う」やFさんの「いつか別れる、でもそれは今日ではない」を一読していただきたい。
評価される軸は多ければ多いほどいい。恋愛テクを極めたところでスランプに見舞われれば自己評価の低下につながりメンヘラ化するかもしれない。自分が評価されるフィールドが多い人は活躍できる場を増やすため自己評価が高く、恋愛が不調であるときも他の分野でカバーすることができる。学生であるならサークルで地位を築くのでもよし、バイト先でリーダー格になるのもよし、なんでもいいから熱中できる分野や活躍できる場を持つといい。
世の男性はメンヘラを嫌厭する。いいなと思って付き合ったら実はメンヘラでさあ、もうやってける気がしないわぁ。という声はトリキに行けばそこらじゅうから聞こえてくる。しかし、私はメンヘラは決して社会悪ではないと思う。なぜなら、メンヘラは自分のことが好きになることができないだけの普通の女の子なのだ。どこに引け目があるのだろうか。いや、彼女らは必死に自分が存在する理由を追い求めているだけだ。必死に生きている同じ人だ。世界のメンヘラに幸せが訪れることを祈って筆をおきたいと思う。










