ブロックチェーンを1度は勉強したことのある人達がよく使う言葉がある。「非中央集権化」だ。
非中央集権化という言葉を使う時、みなさんはどのような意味合いで使っているだろう?
ブロックチェーンという単語自体もバズワードであり、サトシがその論文内で「ブロックチェーン」という言葉を1度も使っていないことを考えるとブロックチェーンというのはマーケティング用語だ。マーケティング用語は大いにい誤解される。人によって解釈が異なることも多い。それと同じことが「非中央集権化」にも見られると思う。
ブロックチェーンの文脈において、「非中央集権化」というのは「Decentralization」を日本語にしたものだ。果たしてこの訳と解釈はあっているのか?というところから入りたいと思う。
Decentralizationという言葉は2つの要素からなる。「De」というのと「Centralization」だ。「De」というのは接頭語で「離れる」という意味であり、「非」というのは否定をするという意味なので、意味合いが異なる。
試しに、英語で「Decentralization」と「Centralization」を引いてみると、前者は「分権」「分散」であり、後者は「中央集権化」と書かれている。インターネットで調べる限り、「Decentralization」を非中央集権化と訳す場合はむしろ少なく、地方分権という訳が多かった。
僕の解釈では前者が中央集権的なアクターを許容しないのに対し、後者は許容しているが集権的なアクターに依存していないというイメージがある。
この解釈をした時に、僕の中ではブロックチェーンを通して実現する世界観は、非中央集権ではなく、分権という言葉の方がしっくりくる。現代の社会が極度に集権的な機関に依存しているのが問題なのであって、集権的な機関がいること自体が問題ではないと考えるからだ。むしろ、完全に非中央集権的な社会を実現したとしたら社会は非効率になると思っている。
この一見、些細に見える違いはなぜ大事なのだろう?理由は2つある。
1つ目は非中央集権的な社会を目指すのか、分権的な社会を目指すのかという始発点が異なることによって議論が噛み合わないからだ。
これはDecentralizationを目指すのか、Distributionを目指すのか?でも同じ議論が発生する。
(訂正:目指している方向性が違う場合、(Decentralizedを目指している大企業もあるので一概に括るのはよくないと思いました。)
そしてもう1つ大事なのは、Vitalikなどのブロックチェーン第一人者達が言っている「Decentralization」という意味合いと、日本人が「Decentralization」と聞いて思い浮かべる世界観にずれが生じている可能性があるということだ。世界観を共有できていないのは今後の業界の発展にとって非常にまずいことだと思う。
今回の記事のモチベーションは、問題提起である。僕の結論があっているという確証もない。ただ、世界で言う「Decentralization」という言葉と日本人の使う「Decentralization」という言葉に差異があるならば、それは問題だ。
僕らが、日々なんとなく使っていることばの解像度を上げることで同じ土壌で議論ができると思う。色々な意見があると思うのでぜひ教えてほしい。
書いた人:渡辺創太